2012年11月30日(金) 、仙台市戦災復興記念館にて、
「災害とともに生きるということ」 〜復興デザインのために、いま考える〜 と題されたシンポジウムが開催され、聴講してきた。プログラムは、高橋 裕氏(東京大学名誉教授)の基調講演のあと、篠原 修氏(東京大学名誉教授)と内山 節氏(哲学者、立教大学教授)を交えた鼎談に移るというもの。
基調講演の骨子は下記の通り。
◆戦後、S22-23年にかけてカスリン台風(利根川)などの大水害を目の当たりにしたことが学究の原点。戦後の混乱期に当たり、食料不足に拍車をかけた。
◆明治以降、沖積平野の開発(=治水)により発展を遂げてきたが、そもそも日本は災害大国であって、河川の下流部に富を蓄積する手法も限界に達していると思う。
◆災害の様相も時代とともに変わりつつある。多くの死者(5千人規模)と経済的損失を出した1959年の伊勢湾台風は直前数年の都市開発に原因があり、1982年の長崎水害も原因は同様であるが、特徴的なのが車の被害が2万台以上出たことで、そのような観点でも災害を見ていくことが大事。=社会が変われば災害も変わる。(伊勢湾台風時の輸入木材(ラワン)急増の背景という社会変化を抑えるべし)
◆昔の話であるが、観測の精神を教えられた気象大学校卒業の林野庁の職員が山の雨量と洪水の関係を調べ、その相関から洪水予測の可能性を示唆したが、上役に叱られたというエピソードも紹介された。上役いわく「洪水予測は林野庁の仕事ではない、余計なことはするな」とのことで、頭の硬い話で困ったものである。このようなセクショナリズムを許していては、災害は無くならない。いろいろな知恵を結集すべきなのである。
◆IPCCの報告に基づき、海面上昇の怖さに警鐘を鳴らされた。そして、日本の海岸線3万5千キロはアメリカや中国よりも長いので、海面上昇の意味するところの深刻さにおいて日本は世界有数の国である事実にもっと留意せよとのことであった。ツバルどころではないのである。
◆本来なら前浜をおいて防波堤なりを設置すべきなのだが、今はそれさえもできていない。
◆昔に、歌に詠まれたような海岸美が日本のそこかしこにあったのだが、、今はなく、いったいどうしてしまったというのか。経済発展が海岸文化よりも大事にされてきた結果、いまでは、海岸に係る省庁法律も錯綜し、手がつけられない状態になっていて、心配は尽きない。
◆このような状況に加えて、今回の災害を教訓とした津波対策が必要で、治水と地域計画との連携や整合をはかることがとても重要である。
◆そのためには、災害は社会現象であるとの認識を技術者だけでなく広く認知させるとともに、災害と土地利用との密接な関係を明確にすることも必要である。
◆これまでの専門分野別に施してきた技術者教育は見直し、「総合、省際、学際」に留意したプログラムが不可欠である。
◆同じ雨であっても、地域や歴史性によって、その結果生じる災害は異なるのである。この認識に立たなければ災害は永久になくならない。諸君の奮闘を期待する。
以上
2012.11.30
シンポジウム「災害とともに生きるということ」鼎談メモ
上の続き。鼎談は論点多彩であり、自分の力量ではまとめることが出来ないので、印象に残ったフレーズを下記に備忘録として列記しておきます。(いろいろ誤解している部分も多々あると思いますが、個人メモということでご容赦ください。)
◆大和朝廷は森から始まった。以来、集住における規模は大きくなり、(まちづくりのための)人為の干渉の度合いが大きくなるが、それに比例して災害の(影響)規模も大きくなっていく。総じて災害には弱くなっていったと思われる。例えば、本家のある家は災害に強いが、分家は弱くなる傾向があるように、災害に強い適地は限られているのが日本の特徴。
◆人間というものは、なるべく楽に便利に暮らしたがるものであるが、さて、この先、どこまで人為の力でどこまで行くのか、自問している。
◆千年以上続く上野村に住んでいるが、災害に対して、古い集落は大丈夫で、やられているのは新しい集落であることが多い。
◆日本の近代史を見ると、主体がどこにあるのか判らないのが特徴。災害においても、誰が最終的な引き受けてなのか、よくわからないのが現場においても言える。まずは、主体が誰なのかを解き明かすことが必要ではないかと思う。
◆明治の初めまで、地域の水防が治水の主体として活動していた。しかし、流域の利害調整が難航し、大きな水害に対する手当が頓挫するため、国の責任で面倒を見るシステムに移行したという経緯がある。その過程で、地元の人々の自助に対する認識が変異していった。
◆自助、共助、ともに必要で、防災体制の身近なところで、役割分担を再構築する必要を強く感じている。例えば、ハザードマップ一つをとっても、それは作って終わりではなく、地元への説明ももっと丁寧にすべきと思うし、そこを出発点にどのような行動を起こしていくのか、という発想になっていただきたい。
◆大震災から何を学ぶのか。防災立国というが、どうゆう国づくりをするのか、哲学をどうするのか? 問われているのはここであるのに、構造物をどうするかの議論に行きがちで、国はひとつも有効な行動を起こしておらず、もどかしい。
◆上野村は、律令制ができた頃からの村で、今回の平成の大合併など、100年そこそこの「霞が関」が何を言ってるのという感じで、見向きもしなかった。地元コミュニティーがしっかりしているので、不安もない。地元で地元のことが面倒見れるし、利害対立を飛び越えていく力は潜在的にあると認識している。
◆これまでに培ってきた地元力を弱める大合併は大失敗に終わると思う。過疎の村が大きな都市に吸収されて、自助の意識が薄らぎ、果ては放置され、忘れ去られるだけではないかと危惧する。
◆一方、上野村は特殊な状況故に生き残ったとも言える。昔からこれといった農業があったわけではなく、いろいろなことに対応しながらここまできている。かたちは村だけど、中身は都市といえるかもしれない。村民通し助け合っているけど、その前提は自立(自助)にあり、共助といっても、日常ではギブアンドテイクが基本というところもあるからだ。しかし、困った時には共助が機能するという意味で不安がないのである。
◆堤防という構造物一点張りの防災は弱いと思う。昔は堤防だけでなく、万一の際のファイルセーフ機能としての防備林を手当てしたりしていた。構造物に頼りすぎていてはダメで、自然との多様な付き合い方を学ぶ必要がある。
◆足元まで水が来る程度の影響の小さな水害では、子どもたちは案外喜んでいる。そこに何かヒントはないか?
◆生活を楽しむ視点。こうやってここで住んでいる楽しさ、生活者として、災害危険性も含めて「引き受ける」という楽しさ、そういったものに皆が気づくと良いと思う。
◆日頃は、多様な共同体があちらこちらに存在し、困っている人がいると助け合う、そういったイメージがしっくり来る。
◆人々の営みがみえる田舎の景観はいいと思う。人々の営みの関係こそがデザインの対象のようにも思う。突き動かされるもの、その追求が大切だと思う。
◆時間をかけて形作られたものの価値の尊さを感じている。時間の価値、ということをもっと考えたい。
◆当然ながら、技術だけでは解決されない。
以上
2012.11.30
ドイツ・バイエルン州のバイェリッシャーヴァルト国立公園のTreeTopWalkが面白い。接続金具以外は全て木材を利用して、全長1.3kmの遊歩橋と高さ44mの展望タワーを構成している。タワーは6%勾配の斜路でほとんど頂部まで登ることが出来、最後の展望台へは階段で上がる仕組みになっている。注目すべきは、高さ38mのトドマツ?(fir tree)3本をタワーの中に内包しているところと、橋脚に丸太を利用しているところだろう。(情報・写真はオフィシャルサイトから引用)(map)
Tree Top Walk という新しい橋の用途はまだまだヴァリエーションが増えていきそうである。
北海の石油·ガスからの収入が減少するという課題を抱えたスコットランドの重要都市において、2011年7月に開催された市内中心部の再開発コンペ。既存の道路、鉄道、公園広場の利便性を向上させつつ、新たに屋外イベントや新しい文化の中心のための市民のスペースを用意せよというもの。
世界的な関心を集め、55エントリのLONGLISTから、6チームが入選し、そこから、DS+R(ディラー·スコフィディオ+レンフロ)とフォスター+パートナーズの2社が残り、最後はDS + Rが勝者となったもの。ちなみに、DS+Rはニューヨーク・ハイラインの設計で名を馳せた事務所。(コンペ・オフィシャルサイトから引用しています。)
あやとりのような平面計画を持つのがDS+Rの案。うねったガラスドームの方がフォスターの案(中段)。決勝に残った二つのうちでは、フォスターの案の方が好きだけど、最も公園が気持ち良さそうな感じからは選外のMecanooの案(下段)の方もなかなか好感が持てる。
皆さんはいかがでしょうか? 詳細なコンペ結果を肴に談義するのはとても勉強になるので、日本においても、このよう都市スケールレベルのコンペ開催が待ち望まれる今日この頃です。
2012.09.28
パリとロンドンを結ぶサイクリング道がほぼ完成しているそうだ。「London-Paris Greenway」、あるいは「Avenue Verte London-Paris」と呼ばれ、520kmにわたって繋がる大規模なサイクリング道。フランス側はパリからノルマンディー地方のディエップ(Dieppe)までの370㎞で、専用のサイクリング道と国道の両方を使って結んでいるとのこと。(フランス観光開発機構オフィシャルサイトから引用しています。)
大まかなコースは以下の通り。
●パリからはサンドニのバジリカ聖堂、コンフラン・サントノリーヌ、ジゾール、
フォルジュ・レゾーといった景勝地を通過してディエップまで。
●ディエップ~英ニューヘヴン(英仏海峡)は船で。
●ニューヘヴンの港からロンドン市内まで150km。2012年6月より、既存の国道などを部分的に
つなげて仮サイクリングコースが使用可能。最終的には、より多くの観光地を通過し、
同時に自然や町の景観を愉しめる心地良い専用ルートで繋がる予定。
家族で、友人同士で楽しく走ることができるよう、いろいろな施設も整備されるそうです。
▼BBC記者の体験記事(ビデオ)はこちら
▼フランス側からの紹介ビデオはこちら
都市内では自転車レーンの配置が、都市間では農道や鉄道廃線跡などをうまく取り込みながらの自転車道整備が、それぞれ精力的に進められている様子。日本も「しまなみ海道」ががんばっている。市民マラソンが流行っているけど、道さえ整備されれば、家族一緒の自転車ツアーも楽しいはず。これからの展開に期待したいところです。
2012.09.28
1852年に開業されたキングスクロス駅とその周辺再開発が2012年5月に完了した。(当然ながらオリンピックに間に合わせるためだ)欧州ならではの、古きを良く残し、そこに斬新さを追加するいつもの方法が採られているが、これまた、新鮮で見応えのある空間が誕生している。(大英博物館の空間の倍程の大きさだそうだ)
この事業の設計会社は John McAslan + Partners。(ここに使った写真のほとんどはそのHPから無断拝借している。ご容赦あれ。)この事業のリーダーとして日本人らしき「hiro aso」という方が紹介されている。「設計当初は全面ガラスで覆うことを考えていたけど、空調やら安全性等を考慮して、現在のようなアルミパネルと併用することにした」とのことである。
なお、私事であるが、2007年に訪れた際は、ハリーポッターでおなじみの9¾番線を見に行ったのだけど、次ぎ行く時は、確実にこの空間そのものが目当てになりそうである。 ところで、私のお気に入りの線路を跨ぐ古い歩道橋は健在だろうか? ネット上の写真の隅々を探しているが見当たらない。新しい橋に取って代わられたのだろうか? そうだとすれば、少し悲しい気もする。
2012.09.18
Amsterdam中央駅で興味深い再開発が動いている。
アムステルダム駅の利用者数(現在約25万人/日)の将来増加に対応するための再開発で、新設の地下鉄、LRTの乗降利便性の向上、バスや船(フェリー)との結節点の利便性向上、景観向上などを目的とする。事業主体は、アムステルダム市、 オランダ鉄道(NS)、プロレイル社(オランダ政府の代わり?)。
すでにバス乗降ステーション等が運用開始されているみたいだが、全体は2014年〜18年頃に完成するようである。
都心の交通結節点の改善に、鉄道・地下鉄・LRT・バス・自転車、船、そして自動車(通過交通)のどれにも視点を当てて、総合的にしっかり対応している欧州の実力に最敬礼と言ったところです。
詳しくは事業説明ビデオを、まず最初に。次に事業説明ビデオ2をどうぞ。
2012.09.09
2012年8月26日、旧富山大橋の渡り納め式が開催され、昭和11年以来76年間、富山市民に親しまれて来た橋にお別れを告げた。
新橋の設計段階から、富山県土木部において企画されたこの素晴らしい催しが全国に広がってくれることを希望しつつ、ご紹介まで。
8/1の夜には神通川花火大会の見物席として解放もされた。
(新しい橋は3月に開通済。旧橋の撤去工事は渇水期の秋から始まり、3カ年の予定。)
2012.0827
BOOKS / それでも日本人は「戦争」を選んだ / 加藤陽子著
終戦の日ということで、評判の本を読んでみた。
東大教授である著者が栄光学園(中〜高校生)の生徒に向けた特別授業の記録として記述されており、読みやすく、また興味深いエピソードも数多く出て来て倦きない。目次は、序章:日本近現代史を考える、1章:日清戦争、2章:日露戦争、3章:第一次世界大戦、4章:満州事変と日中戦争、5章:太平洋戦争、となっており、それぞれの「戦争」がどのような経緯で開始されたのかが史実を元に展開されている。
著者自身、歴史は歴史家の「切実な問い」によって紡がれると言っているように、「問い」を大切に扱っているところに好感が持てる。そして、歴史を学ぶ意味や愉しさとともに、歴史的教訓を参照する際に陥りやすい失敗等も紹介することによって効用の限界にも言及して、常に、読者に考えさせるように構成されている。
あー、そうだったんだ、知らなかったよ、考えさせられるなー、というフレーズを心の中でつぶやきながらも、読み終えた後には、日本近現代史を考える視点を新たにすることが出来た。あと、戦争を継続させるために必要な「民意」というものに対する留意という視点も。
余談的に、ルソーの「戦争観」として紹介されていた「戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとる」というフレーズが印象に残った。
少々脱線するが、これは、スポーツに見られる共通ルールの下での競争という状況ではなく、ルールを押し付ける際に生じる争い事の解決には戦争しか無い、ということと解釈した。
逆から理解すれば、戦争を避けるためには、互いに信じているルールの調整が不可欠であるということになる。しかしながら、この状況になったとしても、ルールを決める主導権を誰が制するか、という不安定状況は変わらない。が、その場合には参加者が増え、互いが互いを牽制するため、戦争は起こりそうで起こらない、まだましな状態にはなる。まぁ、そうとはいっても起きてしまえば、元の木阿弥ではあるが...
脱線ついでに、ルソーの「戦争観」によって、Apple vs Microsoft 、Apple vs Google、Apple vs Samsung という図式も面白く眺められるし、業界の争い事や、発注者と受注者の関係等、も論点が整理されて、ぐっと理解しやすくなるなーという気がしてきました。
2012.08.15
Vancouverの橋が面白いことになっている、ことに最近気がついた。
これまでは、都市のアイコンとしても著名なLions Gate Bridge、観光パンフレットに必ず出てくるCapilano Suspension Bridge、あるいは、合成床版の斜張橋(最大支間465m)のパイオニアであるAlex Fraser Bridge(1986)位しか知らなかったのだが、ひょんなことから、調べてみるといろいろ興味深い橋があることに気がついた。まず、Skybridge(1990)。これはバンクーバーのLRT「SkyTrain」のための最大支間340mの斜張橋。そういえば、雑誌で時々見かけていたが、ここにあったんだ...
Golden Ears Bridge(2009)はPPPのスキーム(35年間?)で民間資金で建設された有料橋で、最大支間244mの5径間連続斜張橋。アレックスフレーザー橋と同じく合成床版のようだ。Pitt River Bridge(2009)は最大支間190m、3本の塔列が印象的な斜張橋で、既存橋梁(船舶通行のための回転橋)の架け替え事業である。Coast Meridian Overpass(2010)は鉄道の貨物基地を跨ぐ新設の5径間連続斜張橋で、ミヨー橋のような送り出し架設で建設されている。new Port Mann Bridge(建設中)は10レーンもの広幅員の3径間斜張橋(最大支間470m)で、最近中央径間の閉合まで建設は進んでいる模様である。
ここまで、フレーザー川を跨ぐ大きな橋の架け替えやら新設の橋を見て来たが、空港の周りにも、自動車のための橋ばかりでなく、「SkyTrain」の路線拡充のためのNorth Arm Bridgeなども新しく架けられている。
細かく見ていくと橋の造形面でも、Cambie Bridge(1986)など、欧州の影響を感じさせる丁寧なディテールも散見される。また、観光地には世界的に大流行りのtree top walkにヒントを得たようなcliffwalkも新設されており、橋の博物館の様相を呈している。いったい、バンクーバーの橋を取り巻く世界で何が起こっているの?
一般論としては、そもそも、カナダ最大の港にして、トロントに次ぐ産業都市であり、観光業も盛んで住みやすい都市であったところに、1997年香港の中国への返還に伴う中国系移民の増大による経済規模の拡大、2010年冬季オリンピックに向けたインフラ整備機運の盛り上がり、さらには、ここ10年程右肩上がりで来たアジアの経済発展における恩恵を最大限受けて来たこと、などを背景として人口も経済規模も伸び盛りであったことは抑えておかないといけないだろう。
その上で、1972年に設立されたバンクーバーに本社をおくBuckland & Taylor Ltd. という橋梁設計会社の存在に着目したい。今回紹介した Alex Fraser Bridge(1986)、Skybridge(1990)、Golden Ears Bridge(2009)、North Arm Bridge(2009)、等を手がけた会社であり、現在はCOWIの傘下にある。この会社がどのような役割を果たしたかは、判らないが、そうゆう会社の存在は何らかの影響をあたえたと思う。これからも、時々に注目していこうと思う。
なお、バンクーバーには、Port Mann Bridge(1964)、Ironworkers Memorial Second Narrows Crossing(1957)、Granville Street Bridge(1954)、Burrard Bridge(1932)など、古き良き時代を偲ばせる橋もたくさんあることを付記しておく。
2012.08.05
江戸から現代までの意匠が混在した、魅力的なイメージ風景を描く山口 晃が面白い。
アダチ版画研究所にて、「日本橋400年の歴史に新たな一ページを加える"現代の浮世絵"
《新東都名所 東海道中 日本橋 改》」の実物を見た印象を記す。
〜日本橋の3段重ねの発想もユーモラスだけど、力学的には実現可能であながち空想に過ぎない感じでもない。これは東京タワー中断の展望室にも当てはまる感覚で、あり得そうな感じが何ともいえず、引き込まれる。虚と実の狭間を漂っている気持ちよさだろうか?
あるがままを受け入れておもしろがるという、路上観察学派?から続く、現代社会において凝り固まったネジを緩めるスイッチが内蔵されている感じである。
2012.07.16
パリから地中海に抜ける高速道路A75の一部として、2004年に開通したミヨー高架橋(2460m)は、民間資金で建設・運営されている。事業運営権(75年)を国から譲渡された民間会社が自ら資金を調達し、この橋を渡る料金収入で建設費420億円を含む維持管理費全てを賄う。基本設計はミシェル・ヴィルロジェ、デザインはノーマン・フォスターで、美しくエレガントな橋に仕上がっている。
さて、この橋の袂にあるサービスエリアに入って、驚いた。この新設された高速道路A75のそこかしこに建設された目玉となる構造物を写真や模型で説明するブースが設けられていたのである。それも上記写真に見るように、きれいにレイアウトされた、一般の方々にも十分見るに耐える展示になっている。ここではミヨー高架橋だけででなく、税金で建設された箇所をまんべんなく取り上げていた。
少し離れた建物の2階に上がって再び驚かされた。ミヨー高架橋の説明ブースになっていた。それも、コンペの際の案の模型までもが並べられている。橋梁技術者垂涎のスペースだ。ここでは、鞄、キーホルダー、ノート、建設経緯を記録したDVD、etc... ミヨー高架橋のさまざまなグッズも販売されていた。ミヨー市の産業全般を紹介したブースもあった。
昼時であったので、この辺りの郷土料理っぽい、そば粉のクレープを食したが、これがまたおいしい。サーモンやローストビーフ、等いろいろな種類もあったし、店員さんはマニュアルで働かされているバイトというよりも、地元の女性達が生き生きと働いている感じもあって、好感も持てた。
このサービスエリア全体がミヨー市、あるいはミヨーのNPO等によって運営されているのかもしれない。いずれにせよ、企業臭の少ない親しみやすい雰囲気であった。
そして、これらが全て計算されたものだとしたら、ミヨー高架橋を取り巻く広報戦略、そして、建設に関わるプランニングも相当なもんだと思う。これは司令塔が存在しなければ、なし得ない成果で、今の日本では到底出来ない類いの仕事だと思った。技術も、もてなしの心も、一つ一つは負けていないと思うし、ひょっとすると日本の方が上かもしれないが、それらの諸要素をまとめあげて、トータルとしてブランディングする力は、まだまだ見習わないといけない、と痛感した次第。
なお、ミヨー橋の真下には情報館(VIADUC ESPACE INFO)があり、ミヨー橋の維持管理通路を歩く探検?ツアーも用意されているので、興味のある方はその時間も確保して訪ねてみて下さい。
2012.07.04
BLOG / 「頭がいいけど『世間』に弱い」理系の大学生
/ 桑子敏雄×上田紀行×池上彰
東京工業大学リベラルアーツセンター設置記念講演「現代における“教養”とは」での会談録が面白いので、ここに印象に残ったフレーズを抜粋しておきます。PDF
...そして80年代以降は、教養よりもはるかに重視されるものさしが現れます。「お金」です。端的に言ってしまうと、教養があって貧乏なのと、教養はなくてもお金持ちなのとどちらがいいか、どちらと結婚したいかと女性に問うと、やっぱりお金を選ぶ、という時代になっちゃったんですね。教養がなくてもお金持ち、というキャラクターのほうが圧倒的に人気をかちとる。社会を動かす要因が政治から経済になり、社会そのものが経済市場化していくようになり、...
価値観が多様化して、「枠組み」そのものをどう決めるかという時代には、実はこうした「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない、新しいアイデアが出せない「使えないやつ」となってしまうのです。
僕は、これからの教養には4つのCが必要だと思っています。
▼第1のCは、コミュニケーションです。(中略)情報は発していかないと、他をインスパイアできません。つまり、コミュニケーションからすべてのアクションは起こるのです。▼第2のCは、コミットメントです。状況に関わっていくことですね。(中略)いかにすばらしい分析ができてもコミットメントできなければその分析能力を教養とは呼べません。▼第3のCは、クリエイション。なにかを生み出していく能力です。それから▼第4のCが、先ほどから触れている「女性」性とも大きく関わる、ケアです。
日本がその意味で教養のある社会、自由な社会足り得るかどうか。もしかすると、今が潮目ではないかと思います。新しい教養教育を考えるとき、自分の意見を自由に発信していく「ある種の力」も同時に学生たちには与えていかないといけないでしょう。知ってはいるけど発言しない、という「悪しき教養主義」に陥ってしまっては絶対ダメだと思うのです。
教養=リベラルアーツの、リベラルとは、さまざまな枠組みから自由になることである。ではどんな枠組みからどう自由になることなのか。まず、それを考えること自体が教養の第一歩である、ということ。これまでの常識が通じない、変化の激しい今のような時代においては、教養こそが次の解を出すための実践的な道具になり得る、ということ。であるがゆえに、教養を身につけたからには、傍観していてはだめで、社会に対して、積極的にコミットメントする、参加する、関わっていかなければ、真の教養人とはいえない、ということ。
おっと忘れてはいけない、専門バカにならないために、とりわけ東工大生の男子諸兄におかれては、「男女のコミュニケーションもとっても大事よ」ということですね。
2012.06.19
BOOKS / ガリレオ はじめて「宇宙」を見た男 / ジャン・ピエール・モーリ著
絵で読む世界文化史と銘打たれた「知の再発見」双書からガリレオを取り上げます。日本語版監修者序文から少し抜粋します。
ガリレオ・ガリレイが活躍した16−17世紀、科学者という職業はまだ存在しなかった。だから、ガリレオが科学者として身を立てようとすれば、実際に自然を研究して何かを発見・発明し、それが有用であることを人々に納得させる必要があった。彼は、力学や天文学を理論的に研究する卓越した「科学者」であると同時に、望遠鏡や天秤、計算尺などを手作りで製作する優れた「技術者」でもあった。
...そうです。
望遠鏡の製作から地位を築いていくエピソード、当時のイタリアの政治状況、学問の停滞状況とそれでも(造船などの)技術は進歩していった事実と、そこに観察の眼を入れていたガリレオの活動の仕方、彼を受け入れるベネチアの自由さ、いろんな歴史的事実が織りなす物語にわくわくします。(あー塩野七生を読んでいて本当に良かった、と思うことしばしば。)
でも、彼はトスカナの生まれで、やっぱりフィレンツェへ帰り、そして、学問では敵を上手に論破したけれども、最後は宗教問題に引きづり込まれて苦渋を味わうところまで、人間ガリレオの物語が簡潔に整理された解説と豊富な図版で、一気に読めます。
同じシリーズでニュートンも出ており、こちらも面白く読みましたが、物語としてはガリレオの方が楽しめました。それにしても、外国のこういった図版を使った技術歴史物は充実していますね。
2012.05.01
BOOKS / 力学・素材・構造デザイン / 著者9名
坪井善昭、川口衛、佐々木睦朗、大崎純、植木隆司、竹内徹、河端昌也、川口健一、金箱温春、の9名からなる執筆陣による、実作を紹介しながらの教科書的構造設計論集です。エンジニアの教養として知っておくべき事がいろいろと紹介されています。とても勉強になる本で、お勧めです。
たとえば、第Ⅱ章 構造デザインにおけるスケールの概念 by 川口衛では、「小さな構造でうまくいったことが、大きな構造でもうまくいくとは限らない」ことを、16世紀に活躍したガリレオの「2乗ー3乗則」の紹介から説き始めます。そして、その法則を逆手にとったかのような、19世紀のブルネルの世界初の全機関式の大西洋横断定期船の成功、電話の発明者として著名なベルが開発したテトラ凧の先見性、等を紹介して、エンジニアとしてスケールを理解していることの意味の大切さを気付かせてくれます。
その上で、モントリオール(1976)と北京(2008)の二つのオリンピック競技場設計を題材に、スケール感を欠いた構造の浪費性が解説されます。
とどめとして、100mの巨大鯉のぼりの飛翔に関する考察と実現過程が披露されて、エンジニアの思考とはこうあるべき、といったことを教えてくれます。
(上に示す紙面は、第Ⅴ章から抜粋です。ローラン・ネイのクノッケ歩道橋を題材に、最適設計を試みた事例が紹介されています。)
2012.04.22
BOOKS / 構造物の技術史 / 藤本盛久 編
副題「構造物の資料集成・事典」のとおり、厚さ7cm程の大著です。
橋梁や建造物を中心に、構造力学やそれをベースにした設計理論の体系が形成される過程が解説されているだけでなく、図版も豊富です。土木の由来やらアーキテクトとエンジニアの語源など、エピソード的な話も豊富で、構造物のことなら何でもOKと思われるぐらい、網羅的にカバーされています。勉強の伴侶かつアイデアブックとしても利用価値が高いと思います。値は張りますが、お勧めです。
参考までに目次を以下に引用しておきます。
第1章:旧石器時代 第2章:バビロンの都 第3章:ローマの石造アーチ
第4章:中世の技術 第5章:構造学の誕生 第6章:力学緒原理と流体力学の確立
第7章:産業革命への胎動 第8章:錬鉄と蒸気の登場 第9章:錬鉄の時代
第10章:構造工学の確立 第11章:鋼とコンクリートの登場
第12章:鋼とコンクリートの時代 第13章:ラーメン力学の展開
2012.04.22
BOOKS / コンクリート橋 / F.レオンハルト 著
言わずと知れたレオンハルト教授の名「教科書」である。日本版は横道英雄教授の監修のもと、ドイツ留学経験のある成井信氏と上坂康雄氏によって訳されて、昭和58年(1983)に発行されている。写真集の体裁を採っているもう一つの名著「ブリュッケン」(1982)と併せて読まれることが、訳者あとがきにて推奨されているが、まさにその通りだと思います。
特に、5章から9章までのは全橋梁技術者必読の内容で、今もって色褪せていないと思います。
第5章 橋梁計画 第6章 コンクリート橋の構造形式
第7章 施工方法 第8章 断面形状の選定
第9章 コンクリート橋の幅員端部構造
その中でも第5章に書かれている計画プロセスは設計哲学とも言えるもので、私自身何度も読み返しています。今はなかなか手に入らないらしいので、ここにそのコピーを置いておきます。→橋梁計画.pdf
キーワードを羅列すると下記のような感じです。
計画者はこの前にたくさんの橋梁を見ておき、 批判的な観察眼 どれほどの桁高が予測した支間長に対して必要であるかを知っておかなければならない 豊富な知識があって初めて既往の橋梁とは異なった新しい橋の創造が可能となる 同僚の意見も聞き 後で後悔しないように塾考する 同僚、芸術家、批評家それに一般の人々に見せ、意見を聞く必要がある 間違った名誉欲のために貧しい形態の橋を世に示したなら、それこそ長年にわたり人から笑われるはめになる。 などなど...
★先日、若手との飲み会にて本書を知らないとの発言を聞きましたので、ここに挙げておきます。
2012.03.20
Phaeno Sience Center by Zaha Hadid at Wolfsburg,Germany
DVD「世界の建築鑑賞vol.5」で見た、ザハ・ハディドのファエノ科学センターに面白みを感じたので、印象をここに記しておきます。
- ザハ・ハディドの建築は写真(外観)から受ける印象としては、変な建築としか思っていなかったのだが、設計思想を聴き、建築内部の映像を見ると新しさが感じられて、体験したくなった。
- 建築全体が、使う人々の見る見られるの関係が考慮されていて、気になったのだ。.そもそも、坂茂氏の成蹊大学図書館を代表に、最近はこのような感じの構成が好みではある。
- 建築思想はpaysage(風景)を引き合いに解説されていたが、これには、なるほどと思うところと、こじつけだよね、と思うところが半々です。
- いずれにせよ、(構造の)複雑さを建築に持ち込むことに正義を置いている点が、新しいと言うことか?端正とは対極にあるが故に、怖いもの見たさに惹かれているのだろうか?
- Frank Gehryとか、こうゆうのを脱構築主義建築と呼ぶらしいのだが、建築の世界は土木と違って、自由さがあって面白いな、とここは素直に思う。...好きか嫌いかは別にして。
- ...現地に行ったらコンクリートの無機質感と威圧感で、嫌いになるかも知れない。
2012.03.09
トークセッション「震災に備える」at 中央公会堂
3月1日、中之島・中央公会堂にて開催された、喜多俊之氏、坂茂氏、河田惠昭氏の講演に続いて、中村桂子氏の司会によるトークセッションを聞いてきた。筋書きのないセッションで、始めは迷走気味だったが徐々に焦点が絞られて、ちゃんと文化文明論の枠組の中に、仮設と言うものの考え方、哲学としても美しさはとても大事ということ、デザインするという実行力、などが論点としてまとめられて、実に楽しい討論であった。
最後は、災害を日本の産業の基盤にすべきとの整理もされた。日本で生んで、世界に広める次の視点かも知れない。各氏の発言から印象に残ったフレーズを備忘としてここに記しておく。
喜多俊之氏:個人宅に人を呼んで楽しめる暮らしを復活させることが大事。そのためには家が広くないと始まらないです。いまの日本の家はものがあふれて倉庫のよう。その点でシンガポールとかアジアにもう負け始めている気がする。家というインフラを再考すべき。
坂茂氏:お金儲けのためだけに建てらたものは愛されずに、いずれ取って代わられる(取り壊されて無くなる)=寿命が短い。紙管で仮設で造った家でも、人々に愛されると、引き取り手が現れ、何代にもわたって使われてゆく。愛着を持たれるモノを造ると言うことの尊さにもっと目を向けるべき。難民キャンプであろうと、仮設であろうと、人が住む場所には美しさが大事。
河田恵昭氏:大事なことが(大阪)市民に知らされていない事が問題。たとえば、大阪地下鉄には門扉が無く、ひとたび水没すれば全線に渡って影響が出る。東京メトロには11カ所の門が備えてある。いま地震にばかり目がいっているかも知れないが、台風も怖い。いま室戸台風が来たら梅田が水没する可能性もある。
中村桂子氏:38億年かけて出来上がった生命誌を背景にしたまちづくりをお願いしたい。最近、鴨長明を読んで、災害文学に目覚めた。日本的でもある仮設という文化・文明の再興も視野に入れたい。仮設首都という考え方もあって良い。そうすれば、いまは首都を東北に持って行くべきかも。
2012.03.01
BOOKS / ゴシックとは何か / 酒井 健 著
北フランスには落葉広葉樹を主体とした平地林が拡がっていた。夏はうっそうとして方向感覚が失われ、オオカミや盗賊も跋扈する恐ろしい場所であり、冬は枯れ木の群れが死の気配を漂わせた。農民はその森林を崇拝しつつも、開墾して農業を営み、農村集落を形成してきた。
十世紀ごろから北ヨーロッパ(イギリスや北フランス)で進んだ大開墾運動とそれに続く農業革命により、人口増加と同時に農村における(農業の効率化による)余剰人口が生じる。そして、彼らが食いぶちを求めて都市に集まってくる。農村には地縁、血縁両方の厚い人間関係があったが、都市には無い。その不安な気持ちを埋めるべく、信仰すなわちキリスト教と大聖堂の浸透・発達の土壌(背景)があったと著者は分析する。こんな感じで著者の論が展開されていく。(生産が増加し人口も増加したが、生産量に余裕がなかったため、天候不良ですぐに飢饉になっていたということも頭に入れておきたい)
そして、ゴシック大聖堂とは森林の殿堂であり、その気配によって、不安な新都市住民を引きつけたのだとする。そのコンセプトを軸に、ゴシックにまつわる歴史語りが積み重ねられ、最後は、近代における森林とそれを失う過程を追いかけ、18世紀のゴシック・リバイバルに触れ、イギリス式風景庭園、エッフェル塔、そしてガウディのサグラダファミリアまで登場してくる。
農業革命における修道士会の役割なども勉強でき、人間の「根源的な思い」とも言える森林への憧憬についての考えることも触発される、読み応えのある新書です。ヨーロッパへ旅行する前に読んでおくと、印象に奥行きが出るとも思います。出かける前に一読をお勧めします。(2000年発行・講談社現代新書・680円)
2012.02.12
Your Rainbow Panorama by Olafur Eliasson
Your Rainbow Panorama by Olafur Eliasson。デンマークのアロス・オーフス・アートミュージアムの屋上に2011年に完成したものだそうだ。
直径52m、全長150mの空中歩廊。三角形の桁断面、床への照明埋込み、ガラスサッシのディテール等、構造物としても洗煉されていて、興味深い作品だ。
少し詳しく眺めたい方はこちらをどうぞ。YouTube(写真はここから引用)
2012.02.11
2012年が始まりました
2012年が始まりました。皆様、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
2011.0311を境に、気持ちの上(あるいは頭の中)での世界は全てが一変しつつあります。
しかし、現実はなかなかそれに追いついては来ません。
ひとりひとりが思考停止状態を止め、自分で考え、行動し、そして互いの行動の調整がとれて、
はじめて現実が変わるわけですからタイムラグが生じるのは当然でしょう。
しかし、どんなにタイムラグが生じようとも、
今度こそ、現実を変えない限り、「2011年」は乗り越えられないと思われます。
いよいよ、本当に前例がない状況に突入です。
心を若々しく保ち、失敗を恐れず、でも無理はせず自然体で
試行錯誤の2012年にしたいとおもいます。
本年もどうぞ、よろしくお願い申しあげます。 2012.01.01