先を走る欧州木橋事情 LinkIcon


先日、坂茂氏の木造オフィスを紹介したけど、
https://www.facebook.com/mikio.matsui/posts/3284593871633838
そこに架かっていた橋のことあれこれ考えてみた。

当然ながら集成材を使ったものになるのだけど、それは、まさしく重ねた梁を接着して部材剛性を高めたものであるわけで、いろいろ情報収集してみたら、面白い画像がいくつかヒットしたので、ご紹介。

木の集成材が構造材で、床版がコンクリート製というのも、目から鱗だし、必要剛性に合わせて貼り合わせるというデザイン選択も合理的。まさに、加工しやすい木材ならでは。おまけに軽量と来ているから、部材運搬も現場施工も多少楽なはず。地球環境上の利点も稼げて、そうゆうことが出来る国では、ちょっとした「はやり」になってそう。
情報元:https://www.schaffitzel.de/.../343-neckartenzlingen-de

2020.0917 

第67回日本伝統工芸展 LinkIcon



日本橋三越へ第67回日本伝統工芸展、日本工芸会会長賞の玉井さんの作品を見にいってきました。
https://www.facebook.com/mikio.matsui/posts/3284230728336819
好みはあると思いますが、引き込まれる作品が沢山あり、目と心の保養になりました。

玉井さんと話も出来ました。撮影禁止ですので画像はお見せできませんが、中は加飾が施され、それは美しく、審査の際も加点要素になったようです。その驚きこそ、見て欲しいポイントだと思いましたが、工芸品の展示会はサービス精神が足りないのか、(普通の)我々への訴求は弱くもったいないと思いました。運良く彼がいたので、上蓋を取って見せてもらいましたが、そこでもびっくり。三段重ねだと思っていたらそうではありませんでした。興味を持たれた方は、足を運んでみてください。
なお、NHKの日曜美術館でも紹介されていました。「生活を豊かにしていくのが工芸」との言葉、染み入りました。
なお、会期初日の本日は授賞式もあったようで、真子様が工芸会の総裁としてご出席された模様

2020.0915 

ここはどこだ? 


ここどこだ? 
と、ベンツに聞いたら、本国に問い合わせるので1ヶ月かかる(かも)と言われた。どなたかご存じであれば教えてください
ま、それでもお願いはしたのだけど...(笑)              2020.0909
 
で、その後日談。LinkIcon

ベンツから「マドリードらしい」と。しかし、探せど見当たらず、「がせ」と認定。気を取り直して、spain modern architecture で検索して、背景の建築がヒット。
スペイン、2008年サラゴサ国際博覧会会場跡地で、歩行者橋でした。隣接するエブロ川を渡る箇所にザハ・ハディドの橋もあったりしますが、Googleマップで見る限り、廃墟感が漂ってます... ...ベンツ広報さんの効果的な切り取りとレタッチに感心しきり。
新たな気づきとしてはサラゴサ付近やエブロ川には興味深い橋が沢山架かっていますね。さすがラテンな国ですね。

2020.0915 

坂茂氏のスウォッチとオメガの本社ビル LinkIcon

 
坂茂氏のスウォッチとオメガの本社ビル、2019年に完成していたんですね。数年前に、Tamedia本社を木造7階建で建設したとのニュースを見て、スイスにおけるハイテク木造建築に感心して、参照
その完成を心待ちにしていたので、ネットでいろいろ情報収集。
全体の印象として、地方都市に本社を構えて仕事をする「かっこよさ」の一つのモデルかな、とか様々に思考が及びます。
 
建築の記事はこちら、またはこちら
ビデオはこちら(10分と長いですが、ハイテク木造建築の概要が見えてくると思います)
またはこちら
 
参考までに....
坂茂事務所の災害避難所への間仕切り支援活動はこちら
坂茂事務所の興味深い図書館についてはこちら

2020.0912

土木学会オンライン全国大会 LinkIcon



本日から土木学会オンライン全国大会。始まりは会長講演。内在する土木人のメンタル危機について、柔らかい口調で、率直に語られています。オ-プンな学会を感じていただければと思い、ご紹介。土木以外の方々に聞いてみていただけたら、と思います。会長講演は20分過ぎからです。よろしくお願いします。

ちなみに、学会長の任期は1年。任命は一年前に行われます。毎年毎年、様々な個性の会長の全力投球を学会員はたのしむことになる、というのは、実は新しい気がしています。

2020.0909

TENSARITY=Tension + Air + Integrity LinkIcon


仮設機材などの事業を行う(株)ヒロセさんが、空気膜構造の仮設橋のお披露目をしたそうです。(ニュースリリース参照)

構造原理的には、イナコスの橋と同じで上弦材(圧縮)と下弦材(引張)を分ける材を空気膜にしたものです。TENSARITY=Tension + Air + Integrityとして、10年ほど前に欧州で研究が進んでいるのを知り(参照
私も大学講義で、重ね梁の簡易実験をした応用編として、風船を挟んだ梁を学生に見せて、学生が驚いてくれるのを楽しんでいたけど、日本でも実物が見られる日が来たんですね。早速、今期の講義にも参考事例として紹介してみたいと思います。

この手の実験や研究は日本の大学でもビシバシ出来ると思うので、次の面白いアイデアは日本の大学から出てきて欲しいな。

2020.0909

デンマークのBig Project LinkIcon



ノルウェーのビッグプロジェクトを紹介したので、隣国デンマークとドイツを結ぶ延長18kmの(道路+高速鉄道)フェーマルン海峡横断プロジェクトも紹介しておきたい。
全貌はこのビデオ参照

経緯としては、当初は橋で計画され2018年に完成とされていたものが、2011年にトンネルに変更されて2028年頃の完成予定とのこと。当初の橋の計画はこれを参照

なお、このトンネルが完成すると、道路としてはファーロ橋を渡ってデンマーク・コペンハーゲンに到達し、そこからオーレスン・リンク(橋+トンネル)を通ってスウェーデンに到達しストックホルムまで陸路で繋がることとなる。加えて、ファーロ橋が渡るスト-スレム海峡を渡る1933年建設の鉄道橋も架替え計画が進行中で完成すると高速鉄道が走り、ヨーロッパの高速鉄道網はストックホルムまで到達するという計画だ。

このように、欧州は交通インフラの整備・更新が着々(資金調達はそれなりに苦労されているようだが)と進捗している。なぜなら、国力は交通インフラの充実度に比例することを彼らは良く判っているからである。
参考資料

2020.0906

ノルウェーのBig Project LinkIcon


先ほどノルウェーの歩道橋を紹介したけど、2026年完成を目指したビッグプロジェクトの道路建設も進行中ということで、こちらも備忘兼ねて紹介しておきます。(2018年プロジェクト開始)

長大海底トンネル、長大橋梁、フィヨルド特有の地形をクリアするための浮体構造の長大橋や海底トンネル等、技術イノベーションが不可欠な壮大なプロジェクトです。
このビデオで全貌が見えてきます。
日本語訳サイトはこちら

2020.0905

ここ行きたいな〜(ノルウェー) LinkIcon


ここ行きたいな〜、その2。
ノルウェー、182mの滝を見下ろせる階段橋。
2020 8/21に開通したとのこと。

2020.0905

ここ行きたいな〜(スイス) LinkIcon


フィルスト・クリフウォーク

2020.08.30

テレビドラマに横浜の「住吉橋」登場! LinkIcon


家人が見ていたテレビをちらっと見たら、...設計に関与した...横浜の住吉橋が一瞬(2秒)登場。その後、巻き戻してキャプチャしておきました(1枚目)...なぜか見つけてしまうんですよね〜(笑)

テレ朝ドラマ「スイッチ」の一コマ。WEBで確認したら、これまた設計に関与した...北仲橋にたたずむ主演のお二人が登場(2枚目)。背景には6月開通のさくらみらい橋(他社さん設計)のラインがうっすらと浮かんでいますね。そして目線の先にはMM21地区が見えているはず。

北仲橋はたまにドラマで見かけます(3枚目:イノセンス冤罪弁護士/日テレ)。歩道が広いのでロケしやすいのかな?
...以上、ご報告まで...

ちなみに、住吉橋のデザインは柳宗理氏@1988年と協働。
北仲橋は柳事務所を卒業された友岡秀秋氏@1993年との協働です。

2020.08.23

生活教養の涵養と発現 LinkIcon

8/17に、それまでの考察を元にえらく腹落ちしたもんだから「鑑賞者の教養でもってその価値が決まる、それが景観である。」なんて、偉そうなことを書いてみたけど、中村先生の「風景学入門」を読み直してみたら、...「生活教養」の涵養と発現がどうしても必要...としっかり記述があって、およそ40年も前に明らかになっていたことを後追いしただけと知って、心地よい衝撃を受けています。

もとより、新しい考えに到達したなんてことは考えていませんけど、昔(40年も前)に読んだ本に書いてあることを理解しただけなのに、気持ち的に結構喜んでいたので、..落胆ではなく、景観のことを理解していくことの難しさを肌身を持って知ったという感じでしょうか。

これは、思い描いている世界に到達するには、今までのようなやり方では相当時間がかかると思い知った次第。  作戦の練り直しが必要かと...

2020.08.22

風景との出会い LinkIcon

7/18の投稿 でジュール・デュピュイを紹介した際に、コメントでのやりとりにて土木学会誌2018年6月号を紹介したのだけど、その号をパラパラと捲っていると、これまた、7/20の投稿で紹介した中村良夫先生の風景学入門が、佐々木先生の人生を決めるきっかけになった本として紹介されていましたので、ワオ!...恐るべし土木学会誌...ということで、ご本人には無断ですが、ご紹介。...お許し下さい。...

2020.08.22

再びコットン大橋登場 LinkIcon


昨日(8/21)の火球のニュースですが、私には横浜のコットン大橋が...設計に関与したので...画面の主役に見えてしまいます。(笑)
https://www.facebook.com/mikio.matsui/posts/2866974103395819

2020.08.22

18-19世紀の市民社会に影響を及ぼした人々 LinkIcon

ターナー、ラスキンを調べる中で整理した、18-19世紀の市民社会に影響を及ぼした人々の系譜をバージョンアップしたので、興味を持たれた方は下記からダウンロードして下さい。
http://ma21.p1.bindsite.jp/pg62.html#20200816
緑の矢印をクリックすると、該当者のwikiに飛びます。

2020.08.17

ターナーについて考える(その4:最終回) LinkIcon

前回の続きとして、ラスキンがターナーの絵の何に「価値の源泉」をみたのか? そこに焦点を当てて、いつものように勝手な論を展開してみたい。

1)まず、描き手の目の前にある社会の真実を表すメディアとしての絵に、それを見たのではないかという「仮説」を提示したい。

2)それは、当時のイギリス絵画の世界では随分と新しい事であったと思う。選ぶ題材、描画手法等において、疾走する時代の光というよりも、どちらかというと影の部分が浮かびあがってきて、心がざわつく感じである。今風に言うと、絵画におけるある種のイノベーションが起きていたのだと思う。しかし、当時のイギリスには、ターナーの進化、すなわちイノベーションを評価する目を市民の側は持ち合わせていたなかった。

3)イギリス市民のターナーへの評価は、若い時から修行を続けてすっかり自分のものにしたピックチャレスクな風景画へのそれに留まっていたのだろうと思うし、それで彼の食い扶持が安定していたからこそ、晩年に向かって独立した芸術家としてイノベーションに向き合えたのだと思う。

4)一方、彼の生きた時代は、音楽が興行として成立していく時代でもある。宮廷お抱えの音楽家としての存在はコスト面で困難となる一方、市民=新興ブルジョアが聴衆であり、その資金供給源となっていく時代に重なっている。その代表格が5歳年上のベートーヴェン(1770-1827)で、楽曲のありようを変え、美意識の革命を起こしたと、片山杜秀氏は解説する。そして、彼の音楽の特徴を、わかりやすい、うるさい、新しい、と評し、市民(ブルジョア)という共感層があったから大胆な変革を可能ならしめたと言う。美意識の革命との表現は、同時代のナポレオンによるフランス市民革命に呼応する言い方だと思うが、私的には、ここでいう美意識の革命とは、それを起こす主体から見るとイノベーションのことに他ならない気がしている。

5)ベートーヴェンは市民の好みに合わせて音楽にイノベーションを持ち込み、人気作家になっていき、市民参加の合唱を伴う「第9」に到達する。サービス精神満点だ。

6)ターナーは産業資本主義社会で起きているイノベーションの結果を風景画に切り取り、その描画方法においてイノベーションを起こした。が、心をざわつかせるその絵は、それを鑑賞する同時代の多数の市民の受けはよくなかったということである。サービス精神は0であり、むしろ、傲慢と紙一重だった感じだ。ターナーは、内なる声に忠実に絵画表現を開拓し、解釈を後世の市民に託すべく作品を国立美術館に寄贈して死んでいく。
 
7)晩年期に若きラスキンがターナーの絵の価値に気づくのだが、彼もまた、その後半生を見る限り内なる声に忠実な人間であった。そのような人間性の類似が二人を結びつけたのかもしれないが、ターナーがラスキンの評価に対して、あまり好意を抱いていなかったらしいので、ラスキンの指摘はターナー的には迷惑だったのかも知れない。ターナーは内心、この若造、何言ってんだか..と思っていたかも知れない。価値評価とは、このように客観ではなく評価者の主体によって為されるのが宿命と言うことである。

8)イギリスを震源地として18世紀ぐらいから始まる産業革命という技術イノベーションは、ヨーロッパ中の社会の有り様を変化させ、社会を動かす資金源が宮廷から市民=新興ブルジョアに移り変わる過程で、絵画や音楽の世界にもイノベーションを巻き起こし、鑑賞という消費行動が一握りの貴族から大勢の市民にまで拡がっていく。それが18〜19世紀であったという事実については、認識が明確になってきた。そして、それをも含むあらゆる経済活動が活発になり、少し遅れて、それらを説明する学問として、哲学や経済学が勃興して、どうすれば、この経済活動が上手く回り、多くの人が幸せになるかを、皆探求するようになったのだ。(未だにその答えはなく、社会はますますグローバルになり混迷を深めているように思えるが...)

9)閑話休題。脱線が止まらなくなるので、ひとまず、最初の問いに対する答えを書いておこうと思う。問いとは、ターナーの絵のどこかに、現代景観論につながる何かがある。そう勝手に直感してしまったことへの、自分なりの謎解きのことである。

現時点での自分の答え、それは、「鑑賞者の教養でもってその価値が決まる、それが景観である。」ということをターナーの絵を見ていて感じた、ということである。論じてきたことから随分と飛躍があるが、そこは説明が出来るほど熟していないと言うことで許していただきたい。

10)ただ、この説明は間違ってはいないと思う。10年ほど前になるが、S先生が「子どもには景観とか風景といった概念がない」的なことを仰っていて印象に残っているが、これは先の回答とも矛盾しないと思う。もっと言うと、鑑賞するものの価値はいつだって鑑賞者の能力に依存する。映画しかり、サッカー等のスポーツもしかり。そう気付くと、鑑賞するものは何だってそうだ、と言うことに気付く。

11)作り手は受け手により育てられ、受けてもまた作り手によって育てられる。その関係がうまくいく世界は、経済も回り、それに関わる人間も幸せになっていくと解釈できる気がしてきた。

12)ターナーをきっかけにしたどうでも良い展開は、今回のどこかで尻切れで終わりになったが、「鑑賞者の教養でもってその価値が決まる」類のものの経済について、もう少し考えてみたくなった。いつかどこかで書いてみたいと思う。

13)そして、それを考える手始めのキーワードは、いまのところ、イノベーション、シュンペーター、ジェイン・ジェイコブズ、宇沢弘文あたりである。考えるのは楽しみであるが、今日で、長い夏休みも終わって、これからしばらくは仕事の季節が続く...

(これでターナー関連は終わり。次のテーマは、またそのうちに)

2020.08.17

ターナーについて考える(その3) LinkIcon

1)前回、「資本主義へのそこはかとない懐疑」をターナーの絵から感じると書いた。
 
2)そのターナーに対して、ジョン・ラスキンがターナー擁護論をぶったのが17歳(1836年、ターナー61歳)、近代画家論第1巻を書いたのが24歳(1843年、ターナー68歳)。そこから20年ぐらいは時代の寵児として名を馳せる。同時代のアカデミーに反発し新しい美を追究するロセッティをはじめとするラファエル前派を支援するのもその頃の出来事である。
 
3)が、50歳を前にしてイギリス絶頂期の産業資本主義の社会に嫌気がさし、農民の単純で道徳的な生活の中に「良き労働、生活の美」のモデルがあるとみて、ユートピア的な実験的事業の実践を始める。ギルドを設立し、農民や職人を教育するプログラム、博物館等を作り、実践の傍ら独自の経済社会論を思索する。イギリス経済絶頂の当時の、資本家の倫理の低下、労働の質の低落と過酷な労働による労働の歓びの喪失を嘆き、改善を模索した。自身の哲学に従い実践へと進んでいった彼の名言に下記がある。
What we think, or what we know, or what we believe is, in the end, of little consequence. The only consequence is what we do. 
...有言実行の人であったことが伺える。
 
4)若者時代の彼が対象とした芸術の価値は、社会を変えるパワーとしては、あまりに小さかったのかも知れない。それは、その芸術を鑑賞した人間の鑑賞力に影響を受けるからである。受け手の感性が鈍ければ、芸術の価値はそれが分かる人々を動かすものの、社会を変えるには小さかったのかもしれない。一方、経済価値は普遍的で判りやすく一律で、受け取る側に特別な能力はほぼ求めない。その意味で平等であるが、現実の配分の論理は不公平で不平等だった。
 
5)持てる者の倫理が欠如した状態では意味をなさない、と言うことで...  彼の名言に
There is no wealth but life. というのがある。
 
6)ラスキン(1819-1900)の1歳年上にマルクス(1818-1883)がいるが、その事実はこの時代の空気感の理解を助けてくれると思う。イギリス帝国は繁栄の影でどうしようもない貧困層の増大という矛盾を抱えており、心ある者はその解決に向けての思索を重ねていた時代である。彼が生きた時代の経済学の観点では、幼少期にベンサム(1748-1832)、年上にミル(1806-1873)、そして年下にマーシャル(1842-1924)が生きていて、晩年期にはケインズ(1883-1946)、シュンペーター(1883-1950)が生まれている、そんな時代でもあった。そして、余談だが、この頃の歴史を知ると、経済学それ自体が新しい学問分野であり確立もしておらず、実は、数学、歴史、政治、哲学、心理学、他の学際的な総合学であったことが理解できる。
 
7)閑話休題。ラスキンの生きる原動力に対して、松岡正剛氏は「価値の源泉」の発見への飽くなき追求、といった解説を述べている。そして、同時代を生きたマルクスは「労働」と「資本」にそれを求め、ラスキンは「芸術」や「創作」にそれを求めたのではないか?、と。
 
8)飛躍して理解するならば、ラスキンは倫理、あるいは美意識に基づいた「良き労働」が働く歓びを人々に与え、社会を良き方向へと導く「価値の源泉」と見ていたわけで、今風に解釈すればSDGsと随分重なる。
 
9)例えば、ラスキンはギルド設立にあたり、「現代イングランドでは、良い仕事を生み出すために、競争ではなく昔あった良心への信頼を復興する必要性がある。」と述べ、「そうすることによって国民の幸福を維持し、国民性が洗練される。それ故、誠実であること、勤勉であること、そして世に役立つこと(すなわち、慈善の心をもつこと)」をギルドの入会条件として書いている。
 
10)そして、そんな考えのラスキンに共鳴した人々の中にウィリアム・モリスがいて、彼はモリス商会を立ち上げ、後に「モダンデザインの父」と呼ばれる活動を展開していく。ラスキンの著作をガンジーが読んで生き方を変えたというエピソードも残っている。また、ラスキンやモリスの活動は日本にも伝えられて、日本の政治や民芸等の活動にも影響を及ぼすのだが、脱線が過ぎるので、ここではこれ以上は触れない。
 
11)さて、こういった人生を送ったラスキンであるが、ターナーの絵の何に「価値の源泉」をみたのか? 次回は、そこに焦点を当てて、いつものように勝手な論を展開してみたい。 
 
(ということで、まだつづきます)

2020.08.16

ターナーについて考える(その2) LinkIcon


1)ターナーの絵は、先人のテクニックを勉強(模倣)しながら進化し、最後は彼自身の観察眼とスキル開発によって新境地に到達する。そして、それら晩年の絵は売らずに、自身のギャラリーに飾り、人には見せつつ、最後は国立美術館に寄贈という形で、作品の逸散を防いで残した。

2)既に生活に困らない財を有していたからこそであるが、なぜ、まとめて残したいと思ったのかを考えるに、彼が生前、偉大な作品から学んだように、後進に彼の絵の秘密を探ってもらいたかったからでは無いか、と勝手に推察してみる。

3)ターナー晩年の絵(現在は高い評価を受けている絵)の当時の評判は、アカデミーや一般には良くなかったそうで、そのことにターナーは傷ついていたに違いないが、一方、模倣の旅から脱却しての創造を成し遂げた自信もあったはずで、いつか社会が追いついてくる筈だとの思いもあったのだろうと推察する。

4)事実、歴史はそう動いている。証拠は無いが、モネも「印象・日の出」を描く前にロンドンでターナーを見ているはずだと松岡正剛氏も指摘している。

5)それはさておき、作品を売らなかったということは、お金のために描いていなかった、ということだろう。では、何のために描いたのか? 探究心(好奇心)のためだったのでは無いかと推察してみる。

6)当時、科学者が真理を追究して実験し、観察・考察して気づいたことを論文に残す、あるいは特許として権利を得るという手続きは、既に社会に浸透していたし、そういったことが市民生活にも知れ渡っていた時代である。

7)ターナーも、同じような心境で残したのではないか、と、根拠のない仮定をおいてみる。...私的には、なんとなくしっくりきている。当時のイギリスの時代の精神の表れとしても、(狭い私の知識上は)矛盾がない。

8)とすると、ターナーの絵は、トラファルガーの戦いに活躍しその30年後に引退する帆船軍艦を蒸気船が曳航する絵、奴隷貿易のえげつなさを題材にした絵、そしてグレートウェスタン鉄道の絵、にみられるように同時代の出来事を題材に、その情景から呼び起こされる時代の精神性を絵に表現しているように感じてしまうのである。

9)そして、描かれているのが風景であるからこそ、風景を通した時代の精神性へと、個人的には思いが向かうのである。

10)7/20に、「ターナーの絵のどこかに、現代景観論につながる何かがある。そう勝手に直感」したと書いたが、まずは、ターナーの絵に時代の精神性を感じさせる力があったことが一つの背景だったということが(自分の中では)判明した。

10‘)それはまるでルポタージュとでも言えそうなぐらい。詩をつけることも増えているということも、ルポタージュに通じる気がする。やはり時代を切り取ろうとする動機があったとしか思えない。

10’‘)そういう精神があったから、晩年に出てきた写真の技術にも惹かれたんだろうと思う。若い時から盛んに書いてきた、ガイドブック用の挿絵にも通じる。

11)がしかし、それだけだと、現代景観論には繋がらない。
そこは、どう(勝手に)解釈したのか? 
今考えていることは、「資本主義へのそこはかとない懐疑」という視線では無いかと言う気がしている。

次は、この辺を書いてみたい。(まだつづく)

2020.08.08

イタリアの憲法9条 LinkIcon

イタリアの憲法9条
 
共和国は,文化の発展および科学技術研究を助成する。
景観並びに国の歴史的および芸術的遺産を保護する。

とある。真田さん@東工大がつぶやいていたので確認してみたら、本当にそうだった。基本原則12条のうちのひとつ。素晴らしい。

2020.08.06

ターナーについて LinkIcon


さて、7/23投稿の続きで、ターナーについて、理解したこと、考えた事など...

表紙写真を載せた2冊と、松岡正剛氏の千夜千冊に記載されていたターナー論、そして映画「ターナー、光に愛を求めて(2014)」を鑑賞して、自分の中に芽生えてきた理解は以下のようなもの。(独断と偏見ですので注意下さい)

1)芸術も模倣から入るという事実を再認識。そして、ターナーは若い内の風景水彩画からはじまり、古典を含めて同時代の様々な技法、を学び自分のものにして成長。

2)いつも手本を越えるぐらいになって、若くして地位も得るので、それと同時に自信、移動の自由(お金)、絵の具等の材料が好きなだけ調達できる(お金)を得ていく。加えて、父と家政婦に生活基盤を任せられたので、基本、絵のことだけを考えて暮らせる余裕を早くに手に入れている。(ただし、家庭環境はくせもので、それが彼の人格形成にも大きな影響を与えるが、ここでは割愛)
 
3)彼が生きた時代(1775-1851)は、国内では、産業革命が成熟する時期に重なり、運河から鉄道へのインフラの重点が移りゆく激動期で、成功してお金持ちになっていく市民が勃興していく時代。彼らが芸術のパトロンにも成っていく。外交関係でも、フランス革命からのナポレオンの混乱あり、かの有名なトラファルガーの海戦も彼が30歳の時。後にその海戦で活躍した帆船の軍艦テレメール号が蒸気船に引かれて引退していく風景を描くのは63歳と言った具合。同時代にベートーベン、ヘーゲル等がいる。

4)彼の絵が独自になっていくのは、絵の変化から45歳前後と理解。多分、模倣したくなるものがもう無くなったのだと推測。そうすると、生来備わっている観察眼が「自然」そのものに向かうのは道理だと思う。そして、絵の具をキャンパスにしみこませるように描く技法などを生み出しながら、いわゆるターナーの絵になっていく。

5)技術屋の端くれとして、テレメール号と、グレートウェスタン鉄道の絵が気になるが、奴隷貿易を批判するような絵も印象的で、要するに、生きたその時代にドップリとつかって絵を描いている彼に、何か職人的な一面を感じ、シンパシーを感じてしまう。

6)若いときから勉強(模倣)熱心で、持ち前の観察眼を基盤に次々と気になる作風を自分の物にし、40歳過ぎて独創に入っていくその過程は、僕から見ると、画家と言うより、エンジニア人生と重なる。そして、60歳(1835年)前後でいわゆるターナーの絵が完成していく。
 
7)時おりしも、エンジニアの時代とも言われるヴィクトリア女王の時代(在位1837-1901)のとばり。(在位期間は世界中に植民地を拡大していった大英帝国繁栄絶頂期)

8)ターナーの絵には、彼が生きた時代の、自分の目で見て観察した事実が描かれている。それを感じ取るから、彼の絵に時代の空気を感じ取り、その時代の景観が描かれていると、自分の専門領域との共鳴が起きたのだと思う(思いたい)。

9)ピクチャレスクの概念もこの時代から始まっているし、彼の絵もそこから始まっている。通奏低音として彼の絵の構図に、景観の構図を整えてしまうところがあると思う。

10)観光もこの時代から始まっている。突き詰めれば、観光は景観を消費する産業の一面を持っている。消費するのは勃興してきた市民であり、ターナーもまさにその一人で、結構出かけている。つまり、消費者としての行動を当たり前にしている。

11)彼は、時代の風景を、時代の先端のいく概念と技術で、切り取ろうとしている、と無理は承知で理解したとすれば、それは、なんと「デザイン」していることと同義のような気もしてくるが、なんか違う気もする。

12)ただ、消費者というお金を出して何かを買う人々が出てきた時点で、消費(鑑賞)対象としての景観と言う概念が生じる事はなんとなく、理屈に合う気もする。アダムスミスが国富論を書いたのも、ターナーが生まれた頃なので、経済が回るという社会は出来たばかりの時代。

13)お金の価値とからめて、考えを進めると何かでてくるかも、と思いつつ、

12)このあたりから思考の論理は発散してくるので、続きはもう少し考えてから書いてみます。

ということで、まだ(つづく)

2020.08.05

ジェノバの橋、開通 LinkIcon



昨日紹介したジェノバの橋、8/2ごろに既に開通していますね。

 https://youtu.be/-Wu2hE11EM0

8/5夕方追記...渋滞していますね..大動脈だったんですね。ライトアップはイタリア

2020.08.05

ジェノバの悲劇、丸2年で開通 LinkIcon



ジェノバの落橋(2018.8.14)を受けた復旧工事、その記録的な速さでの建設に携わった技術者、技能者、すべての企業や機関に捧げるコンサートが開催(2020.7.27)されたとのこと。

欧州らしい企画に感心し、素晴らしい演奏に感動。加えて(多分)全工事関係者の銘板の披露に敬服。まる2年で開通、それも綺麗で素直な橋が。...イタリアは国難乗り越えて、国の品格を世界に発信することになりそうで、歓ばしいことですね。

https://www.pergenova.com/en/news-e-media/news/the-new-genoa-bridge-we-build-the-future.html

3月時点の記事はここ。

2020.08.05

8/4は「橋の日」 LinkIcon

念のため、ご紹介。
今日、8/4は「橋の日」です。以上

ちなみに8/1は「水の日」でした。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/水の日

2020.08.04

大野美代子さんを偲ぶ会 LinkIcon



2020.8.3、galleryA4にて開催(2018年)された追悼展をきっかけに始まった「大野美代子さんを偲ぶ会」3回目をオンラインで開催しましたのでご報告。

今年に予定されていた大野さんの母校、多摩美術大学での展覧会は来年に延期(多分6月とのこと)になったと伺いました。そして、二つの大学が大野さんを題材に卒研を進めているらしいとのことも。...期待しております。

会は基本、柔らかい話をしていますが、作品情報や創作過程の図面、発表テキストなどをアーカイブすることで、次世代の創造の参照になることの重要性、そこに気付いて投資がされていたりする事、それこそが国の品格だ、なんて硬い話もしました。

私自身、毎年一回、大野さんの足跡をたどることで、様々な発見をしています。創造のエンジンは前を見るばかりでないことを本当に実感する貴重な時間となっています。
ということで、以上ご報告まで。

ここにgalleryA4での展覧会のアーカイブURLを載せておきます。

2020.08.03

橋梁設計者の系譜(0803追記 LinkIcon

橋梁設計(デザイン)勉強中の方々へ

18世紀後半のトーマス・テルフォードから、現代のローラン・ネイ氏に至るまでの、主な橋梁設計者の系譜(多少、恣意的に選択)をまとめてみましたので公開します。ご自由にお使いください。0803、対象者を日本人含めて20名ほど増やしました。

下記からPDFをダウンロードください。
http://ma21.p1.bindsite.jp/pg62.html#20200725

をクリックするとstructuraeサイトの該当設計者のページにリンクし、主な実績(諸元、写真等)にアクセス出来ます。

例えば、1897年生まれのフィンスターバルダー氏を調べてみると、Subway High Bridge Nuremberg-Fürth という連続フィンバック橋梁が1969年に竣工していたなんてことに出くわします。

レオンハルト時代の設計にはゲルト・ローマー等のアーキテクトの関与が普通に行われていた状況も確認出来た気がします。美しい橋には、やはり(当然ですが)造形操作が入っています。そして、それが健全に次の世代に受け継がれています。いつか、試論をまとめたいと思っています。(0806追記)

PS1 あの設計者が漏れている、このデータ間違えている、等のコメントをお待ちしております。

PS2 日本人設計者については、設計者として資料で実作との関係が明確な方を記してみました。他にも大勢いらっしゃると思いますので、ヘルプしていただけると助かります。

公開資料から記してみましたが、研究者でない私には、これが限界かもです。設計の骨格を作ったのが誰なのか、この様なテーマでの研究者の成果を待ちたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

2020 07.25
2020.08.03

ジョン・ラスキンの生きた時代を調べる(範囲拡大) LinkIcon

〜前回からの続き〜 ガントチャートの対象者を、経済、哲学、音楽、等の分野にも拡げてバージョンアップ。

1)ターナーが生きた1775-1851は、産業革命の真っ只中そのもの。動力としての蒸気機関が社会の中に浸透しつつ、物流においては船運(動力は馬)を効率化する運河整備が拡大する一方、1830前後の蒸気機関車の改良により、その熱気が鉄道に移っていった激動の時代。カント哲学が生まれ、資本主義も最大多数の最大幸福論が出て来るなど、地歩が固まりつつある。アメリカ独立戦争、フランス革命(戦争)、ナポレオンによる欧州混乱、など政治的にも激動。芸術創作のベースとなる刺激には満ちていたことを確認。土木的には、テルフォードの仕事もブルネルの仕事もライブで見ることができた世代。

2)ラスキンが生きた1819-1900は、産業革命の果実を摘み取ったバブリーな時代ともいえる。同年代にマルクスがいる様に、資本主義は浸透し、資本家と労働者の貧富の差が激しくなって行った時代でもある。ラスキンは20代で近代絵画論、30代でベネティアの石、を著し名声を得ている。40代以降は、良き労働は人間と社会の道徳的基礎を創造するものと考え、実践の道へと進む。誠実、勤勉、世に役に立つ、とか唱えて、民の教育に向かう感じだ。今風に言えばSDGs的だ。その延長上にモリスへの影響がある。

3)ラスキンの少し前の時代にショパンがいる。ポーランドにはまだ産業革命の波はさほど行っていなかったのか?あるいは?ちょっと興味深い。
4)産業革命の発明物語を紐解くと特許の話がよく出て来る。そしてこの特許制度、調べてみると、ルーツは15世紀のベネティア。貸借対照表と同じだった。恐るべしイタリア。
5)哲学、経済の話を中心に、大学の存在もよく出て来る。まさに知の交差点、殿堂、と言った感じだ。

6)制度設計と大学運営、この時代から欧州方面は強い。知を富に変換することの認識が半端ない。ものづくり日本とか、大事とは思うが、そればかり言っている時代ではないと、現代の状況にどうしても意識が向かう。

7)いろいろ脱線したが、ターナーのこと全く知らないことに気がついたので、暫し勉強しようと思い、この話はまた..(つづく...)

2020 07.23

ジョン・ラスキンの生きた時代を調べる LinkIcon


〜前回からのつづき〜
ひとまず、ラスキンの生きた時代の出来事を確認しようと、彼が生きた時代の前後の人物のガントチャートを作成。

風景学入門に出てきた、ラスキン(10歳として)が会ったワーズワースは60歳ぐらいで、ターナーが「雨、蒸気、速度..」を描いたのは1844年で69歳と把握。その年にラスキンは25歳。その年齢状況でラスキンは近代画家論を著してターナーを擁護した。...
こうゆう芸当は裕福でないとできないなと思って調べると、やはりそうだった。どこで仕入れたか思い出せないけど、ラスキンは小さい頃からターナーが描いた精密な描写の挿絵をみて育ったとか。その影響かどうかは知らぬが、ラスキン自身の絵も相当に緻密で観察が行き届いている。絵を学ぶにおいて、ラスキンはターナーを手本にして精密な描写を会得したのだろうと勝手に推測。

こうした原体験があるからこそラスキンは、ターナーの作風の変化を受け入れ、自分の頭で何が起きたのかを考えたものと、これまた勝手に推測。そして、当時画壇において批判にさらされていた描き方が粗いとかそう言う表面的な観察では無く、自然の描写として、ターナーが画家の目で観察し、掴んだ本質をキャンバスにぶつけていたものがラスキンには見えたのだろうと懲りずに憶測。見えてしまえば、若者に怖いものは無い。堂々と論をはったのだと思う。

ある資料はターナーは絵の超天才だと評していた。写実から印象派を経て抽象の世界に一人で突き抜けたと。ターナーの死後、何十年もかけて、印象派から抽象に向かったその後の画壇の歴史を、一人でさっさと突き抜けたのだと。
ほー、その天才の変移を20代で理解したラスキン。その後の思索が深まるのも道理だと思った。(注!これも勝手な憶測です)

そして、時代背景。彼の20代は1840年代。時は鉄道狂時代で、株による鉄道投資が過熱していたイケイケ時代。1851年と62年にはロンドン万博も開催されている。1843年はトーマスクックが初めてのパッケージツアーをしたとの歴史も残る。パリではオスマンによる大改造、アメリカでは南北戦争とその終結。マルクスの資本論が出たのも彼が50歳手前のことだ。
あらゆる産業の勃興と階級格差が目に見えて広がってくる時代のまっただ中、経済理論も哲学も発展途上、そういった流動的な時代に彼の人生があったことが見えてきた。(つづく...)

2020 07.21

ジョン・ラスキンの名前を風景学入門に見つける LinkIcon

7/19、ブルネルが開発した鉄道を題材にしたターナーの絵を見てもらったが、
お見せしつつ、ふとジョン・ラスキンの名前が頭の片隅に出てきた。誰だっけ?そしてググった。

彼は当時のイギリス画壇において批判されてたターナーを守った人だった。そして彼の著作は日本の志賀重昂に刺激を与え、「日本風景論」という日本にとってエポックメーキングな本につながっていた(コピー本だという批評はこの際追及はしません)。日本における景観論の初めの頃の時代に一気に飛んだ。観光という娯楽もこの頃から商業として見られていくようだが、そこはすっ飛ばす。

ん、待てよ。と思い中村良夫先生の風景学入門を引っ張り出してきて、初めの章を読み返してみた。ら、ラスキンが出てきた。ワーズワース邸に父に連れられてきた若きラスキンのことが書かれていた。

ワオ!こうゆう瞬間があるから楽しい、やめられない。ターナーの絵のどこかに、現代景観論につながる何かがある。そう勝手に直感してしまった私は、手元の本とネット空間を行ったり来たり。至福の休日の午後を過ごした、とさ。(つづく)...

2020 07.20

エネルギー400年史 LinkIcon

話のついでにもう一冊「エネルギー400年史」を紹介。買ったきっかけは、挿絵の一つに橋があった、てこと(笑)なんですが、つまみ読みでも、様々な産業の絡み具合が見えて、好奇心が満たされる仕掛けになっています。まだ読本中(既に数ヶ月...積読ってやつです)ですが、この手の歴史が好きな方にはお薦めです。

安全、食糧、エネルギー、交流(モビリティ-、コミュニケーション、etc)の基盤整備は土木事業の四大使命だと習いました(from 竹村公太郎氏の講演)が、エネルギーへの視点はなかなか得にくい中での参考書として、いかがでしょうか?

2020 07.19

世界史を換えた50の鉄道 LinkIcon

19世紀の産業と経済に大きな影響を与えた鉄道ですが、その勉強もこんな本があれば苦になりません。例えばロンドンとブリストルを結んだグレートウェスタン鉄道。ブルネルが登場し、ターナーの絵で締めくくるといった趣向で飽きさせません。
なお、ブルネル氏は2ポンド記念硬貨にも登場しています。

2020 07.19

エンジニア・エコノミスト LinkIcon


技術と会計の話を書いてて思い出したので備忘メモ。10年以上前のことになるが、公共工事コストの説明をどうすりゃいいのか悩んでたときに出会ったのがこの本。
なんと、この悩みは19世紀の初めからあって、例えばジュール・デュピュイ氏など、土木技術者であり経済学者的な人物がすでに誕生していた。という事実にえらく感動したのだった。

フランスの土木講義にはこういったものがあるそうだが、日本もそこは追い付かないと、と思う次第です。(公共)投資は将来価値の最大化のために行うのであるから、将来価値とは何かを考える訓練として、絶対必要だと思う。

2020 07.18

会計の世界史 LinkIcon


7/8に「ESG思考」という本を紹介しましたけど、
これを楽しく読めたのは、今回紹介する「会計の世界史」で得た知識ベースがあったからだと思っています。ということで、紹介します。

この本の何が面白かったかというと、会計の歴史の原動力はいつもその時代の要請に対応して立ち上がった産業(技術)だったと言うことに気づかせてくれたからです。技術屋の端くれとして、技術と会計が、歴史の中で連動していた事実は、好奇心を大いに満足させてくれました。

貸借対照表(バランスシート)がイタリアで生まれたのは船を仕立てた貿易の収支を見えるようにしたためとか、1600年にオランダで初めての株式会社ができた歴史背景は何だったのか。そして、それが今に繋がる多様性の国、オランダに綿々と引き継がれていること。イギリスにおいて、蒸気機関や鉄道の発明といった産業革命の節々で、必要に駆られて財務会計が発展したこと。新天地アメリカで管理会計が生まれ発達したこと。その創成期にシカゴ大学教授だった、あのマッキンゼー教授が関わっていること。ブームに飛び込むので無く、一呼吸おいて儲ける方法を考えた人間が(金銭的に)成功して大学(たとえばスタンフォード)を残してきたエピソードなども満載。
その頃を起点に、経営で考えるキーワードが規模→効率→価値に変遷してきたことの必然が見えてきます。
500年の会計の歴史を踏まえることで、今現在のESG思考とは何かについての解釈も深まる気がします。
興味を持たれた方は、教養本として一読をお勧めします。

追記
今、その儲けの方程式でもある、規模×効率×価値が揃ってる象徴的な企業が、いわゆるGAFAMで、つい最近まで盤石だと思われていたトヨタが今必死なのは価値が揺らいでいるからってとこでしょうか? もう少し砕けて言えば、規模とか効率を大きくする方法はモデルが沢山あるけど、価値は変化していくので、掴んでいる状態を継続するのが難しい。で、皆イノベーション、アジャイルといった横文字の方に吸い寄せられているってことなんですが、これは基本、大企業の話であって中小はまた別の尺度が必要なのは言うまでもないけど。 

2020 07.18

原稿アーカイブ公開しました LinkIcon

1986年の社内発表会への投稿を皮切りに、橋のデザインについて書いてきたことなどのアーカイブを、自身の備忘録として整理してみました。

改めて読み返すと、ほんと20代から言ってることとあまり変わってなくて、思いってものは成長しないんだと実感してます。
http://ma21.p1.bindsite.jp/pg62.html

2020 07.12

関東橋談義の準備 LinkIcon

関東で橋談義をやるか。その前にひつつやらないといけないミッションもある。あれやこれや、検討を始めた2020の初夏。

2020 07.10

ESG思考 LinkIcon



この手のビジネス本もたまに読むんですが、これは腹落ち感が良かったのでご紹介。
サスティナブルという言葉を今風な意味で使うことを初めて聞いたのは1980年代前半。
大学院の時、前田教授から「これからはサスティナブルがキーワードだ」と。
その時以来、結構重要な概念だと思ってこれまで生きてきたけど、社会全体はそんなことを大事にしては動いていないということを、ず〜っと感じながら、でも性分からたまにちょっとだけ抵抗しながら過ごしてきた。

が、ここ最近、SDGsだ、ESGだと、世の中サスティナブルに染まりつつある。
一体何が起きているんだ?という疑問を、過去に遡って、国連アナン議長の行動や、スタバといった先行企業の動きを追いながら、現代にまで物語として紡いでくれていて、理解しやすい。
歴史理解は理念理解にも、やっぱり効果的だと思いながら、読み終えた。
ESGの本質を理解したいと思っている方にお勧めです。

2020.07.08

追記
この本には、2000年前後から動き始めた欧州各国の文化の変容について、何故日本が立ち遅れたかについて、その一つの要因として官僚主導の弊害を挙げている。
これは自分が関わる建設業界においても、大いに腑に落ちる指摘だ。例えば、橋のデザイン。1980年から90年にかけて、文化的にもいい線を行き出したかに思える時期があった。が、バブルに浮かれ間違った方向にゆき、その内、さらにひどい方向へ行ってしまったが、その背景には官僚主導の弊害があったと認めざるを得ない。行政サイドとして、良かれと思ってのことだと思うが、結果として、民間の考える力を削ぐ慣習が残り、民間の企画力を刺激しない施策が相次ぎ、今に至ることとなる。
堺屋太一氏が遺言的に「2020年までに3度目の日本をつくれるか」ということをおっしゃっていたそうで、日経ビジネスの記事URLをここに貼っておく。
そう言えば、瀧本哲史氏にも「2020年6月30日にまたここで会おう」という遺言的著作(伝説の東大講義の書籍化)がある。間接的な追悼文であるが、興味深いので、その記事URLをここに貼っておく。
さて、2020年は、実は将来の人にとって、思い返せばあの年からだったな。というターニングポイントになるのではないだろうか? オリンピックが延期になり、パンデミックの真っ只中にいて、毎年やってくる初夏の水害に対応している、今この瞬間の日本。
一年後にまた、このページを自分自身で読み返して、答え合わせをやってみようと思う。

2020 07.12

何故か、擬宝珠橋がテレビに登場 LinkIcon



6/29放映の所ジャパン。秀吉の「中国大返し」の解説の中で、3秒ほど鳥取城跡擬宝珠橋(土木学会田中賞受賞)が画面に出てきました。(話の筋には全く関係なかったところがご愛嬌ですね)鳥取市のHさん、ご案内ありがとうございました。関係者の皆様、おめでとうございます。
 
さて、番組の中身ですが、なぜ、秀吉の中国大返しの話題に鳥取城跡が出てきたかは土木屋にとっては、大変興味深い話でした。
間違って理解してるかもしれませんが、
秀吉が西日本攻めていくにあたり、当時としてはまずまず幅員が広い立派な道路を作りながら西へ西へと攻めていったそうで、なぜ、その道路を作ったかといえば、最後の詰めの段階で信長に、ゆったり来ていただくためだったとか。
それで、大返しする際は、そのハイウェイのような道路を取って返したので、素早く移動できたとの解説でした。
 
で、そのような道路の痕跡が鳥取城跡の久松山の上、(多分)太閤が原のあたりに残っているということで、そこに取材に訪れた。その取材先の鳥取城跡を見せる場面として、擬宝珠橋も映った、という感じです。
また、そもそも、この番組は姫路城の話でしたが、その大天守の築城に携わった職人たちが鳥取城に関わったので、「姫路城の弟城」とも呼ばれているそうで、そのことも影響したのでしょう。興味を持った方は、このページも参考にしていただければ、と思います

2020 07.01

メルカテッロの暮らし LinkIcon



10年ほど前の大阪勤務時代に時々参加していたJUDI(都市環境デザイン会議)を通じて、Facebookで繋がっている井口勝文さんの記事をきっかけに、6/26の昼下がり、銀座・高輪画廊に、奥様の井口純子さんの個展を訪ねました。

ご夫妻といろいろなお話をさせていただき、私の母が純子さんの絵を購入していることを伺いました。今度実家に帰ったときに探してみますと伝え、帰り際、ご夫妻で書かれた「メルカテッロの暮らし〜イタリアの小さな街で考える、日本の都市の可能性〜」をいただき、帰路につきました。
画廊をあとにして、しばらく歩いているうち、一枚の絵のことを思い出しました。大阪の実家を整理している際にたいへん気に入ったオリーブの木の絵(写真)を東京の自分の家に持ってきたことを。そして、画廊に入った時からなんとなくタッチが似ていると感じていたことも。でも、その時は連想が繋がらなかった。

次の日、確かめると、やはり井口純子さんの絵でした。今、いただいた本を読み、その絵を見ながら不思議なご縁、繋がりに感謝する週末を過ごしてます。
「メルカテッロの暮らし」、読み進めているところですが、イタリアの小さな村がなぜ幸せなのか、個人的交流、国や地域の制度、いろいろな視点が学べて興味深いです。
働き方、経済の回し方、様々な面で社会的にも大きなテーマとなっている「幸せとは何か」と言う問いかけ、その一つの答えが「メルカテッロの暮らし」の中にあるような気がしています。

2020 06.28

コンクリートの研究から、建築の本質を見直す LinkIcon

コンクリートと言うかセメントという材料のことを少し勉強しようと思い、いつものように歴史から入ろうとして、興味深いサイトにたどり着きました。野口先生はこの世界では既に著名な研究者ですが、インタビューの回答がわかりやすくて素晴らしいです。備忘兼ねてURLを貼っておきます。
■コンクリートの研究から、建築の本質を見直す■
3Dプリンター用のコンクリート材料のこと(先端技術)に言及する傍らで、「知見を積み上げていき、鉄筋コンクリート造建築物の修復学みたいなものを構築する。それが目標ですね。」と語っています。

2020 06.28

非鉄製PC橋 LinkIcon

元記事へ

鉄を使わない本格的な道路橋がいよいよ完成するとのこと。これは凄いことですね。
記念に発信しておきます。

一般の方は鉄橋以外にコンクリート橋があるでしょうと言うと思いますが、コンクリート橋の中には鉄筋が、あるいはPC鋼材がたくさん使われています。ので、それらがアルカリ性のセメントに覆われていてもひび割れの隙間などから水や空気に触れて錆びる(酸化する)ことはなかなか避けられない宿命だったのです。
今回の橋は、鉄の部分を全てアラミド繊維のロッド等で置き換えたもので、錆の脅威からフリーになったとのこと。材料が変わればそれを使う構造物も変わっていきます。様々な意味で新しい時代の幕が開けようとしています。

〜以下追記〜
 バタフライウェブに混入している繊維はアラミドでなく、鋼繊維とのこと。コンクリートのせん断強化には、鋼繊維だけでなく20mmの骨材が効くとのこと。というか逆の関係。この配合具合により強度と混ぜ具合の最適解が定まる。骨材の強度がせん断強度の源として、それらを連結するイメージで鋼繊維の役割が重要とのこと。
コンクリートとしての高強度発現は、シリカフュームを混和剤として混ぜるという、今では一般的な手法で対応しているとのこと。セメント粒子の隙間を埋めることで結合が強くなるそう。アナロジーとしては石垣のイメージ。緻密になるので、空気や水分の浸透も抑えられ鋼材の抗腐食にも有効。だから鋼繊維使っても大丈夫と判断とのこと。
普通のコンクリートはポーラスとの発言もあり、理解が助けられました。やっぱりプロに話を伺うと、難しい話もわかりやすく説明していただけるので、理解しやすい。時短効果抜群ですね。シンプルに整理すると、セメント、混和剤、骨材、鋼繊維のレシピが大事ってことですね。
シリカフューム

2020 06.26

MacOS  Big Sur LinkIcon



好物は橋とappleとプロフィールに記している私。
次期macOSの背景画面に反応しないわけにはいきません(笑)。カリフォルニアの観光写真に度々登場する Bixby Creek Bridge が写っているでは無いですか!(写真は全てネットからの拝借)
蛇足ながら、サンノゼapple 本社からこの地までは車で1時間41分(google調べ)。サンフランシスコとの距離は京都〜金沢位でした。

2020 06.23

床版にダクタル適用 LinkIcon

未設定

建築家・川添善行さんの作品。床版にダクタル活用で薄くして浮遊感を、とのこと。
桁組も簡素で素敵ですね。製作施工での精度確保はそれなりに大変だったと思いますが、プレキャスト床版の接続部のディテールが気になります。開断面のところで、捻って調整してたりするかもです。それはそれでグッドアイデアかも... はて、実際はどんなんでしょうか?

2020 06.16

東京人「橋と土木」特集 LinkIcon



雑誌・東京人「特集:(浮世絵で歩く)橋と土木」届きました。
2019年8月に開催された「橋と土木展(主催:東京都建設局)」からの派生企画と思われるこの特集、内容の網羅性、図版の面白さとともに相当読み応えがあります。(写真の「橋の変遷表」は橋と土木展パンフより)
私的には、渡邉竜一さんの復興橋梁の図面を題材にした論文を興味深く読ませていただきました。設計者の意図を伝える道具として、現代においても、いや現代だからこそ図面をもっと自由に表現しようよ、という問いかけ(←勝手に解釈してます)賛同します。

〜追記6/13〜 どっかにあったよなと探していた2007年の東京人の橋特集。
 やっと見つかった。巻頭は伊東先生と陣内先生の対談から。

2020 06.07

梱包の芸術家 クリスト氏逝く LinkIcon

動画

梱包の芸術家・クリスト氏が2020.5.31逝去されたとのこと、ご冥福をお祈りいたします。
私にとって、クリスト氏と言えば、ポンヌフの梱包(1985)。
実物は見られませんでしたが、1988年、美術館でドローイングと写真を楽しんだ思い出があります。計画案のドローイングを売るなどして実現資金を自前で捻出するという方法論、凄いとしか言い様がありません。一方、何年もかけて管理者や関係者を説得するプロセスは、インフラ整備にも通ずる物があります。
ストーリーや事実の記憶を残す手法は、今も色褪せることは無いように思います。

2020 06.07

藤沢駅北口デッキ LinkIcon

動画

藤沢駅北口デッキ(1979年竣工)40年目のリニューアル。GK設計さんと一緒に取り組んだ事業が2019年12月に完成し、お祝いしたと思ったら、コロナ禍によりなかなか行けなかったのですが、先日写真撮ってきましたのでご報告。
日常とイベント時の使い勝手の両立、ユニバーサルデザインの実装、等が要求性能でした。設計チームとして拘ったのがベンチ。従前の倍の延長140mを配置しました。
従前から生育していた大木を生かし、その木陰にベンチを!といった感じで...

2020 05.30

築地大橋 路面走行動画 LinkIcon

動画

設計に関わりました築地大橋の路面走行動画をご紹介まで。

2020 05.18

竹芝デッキ、ほぼ竣工 LinkIcon

動画

設計に関わりました竹芝デッキがほぼ竣工しつつあります。
5/7に撮影してきましたので、ご紹介まで。

2020 05.18

田中賞受賞!「史跡鳥取城跡 擬宝珠橋」 LinkIcon



設計に関わりました「史跡鳥取城跡擬宝珠橋」、
土木学会田中賞(作品部門:改築)を受賞しました。
関係者の皆様、おめでとうございます。

備忘兼ねて、地元の日本海新聞記事、日経コンストラクション、DeAGOSTINE週刊日本の城、橋梁と基礎、JSSCジャーナル(日本鋼構造協会)、Structureジャーナル(日本建築構造技術者協会)等、擬宝珠橋が紹介されている冊子写真も追記。
2019.03「史跡鳥取城跡擬宝珠橋」日経コンストラクション 

2020 05.14

執筆原稿のご紹介 LinkIcon



日本建築構造技術者協会のジャーナル「structure」
主集 土木の世界 〜橋梁の構造デザイン〜 が届きました。


読み応えのある原稿集は、建築関係者の方々だけでなく、橋梁関係者の皆様にも読んでいただきたい内容が詰まっています。
全体に、現代日本が抱えている創造性における課題を認識しつつ、より創造的に仕事を進めるためには、どうしていけばいいのか?そんな課題意識で皆さん論を展開されています。私も執筆者の1人として、設計の仕事をより魅力あるものに維持発展させるための私論を書いています。
多くの皆さんに読んで頂ければ幸いです。
「魅力的な橋梁設計をするために」日本建築構造技術者協会誌 

2020 05.13

新高橋側道橋 LinkIcon



今日の自転車散歩。黒目川沿いに進んで、
新高橋側道橋(2005年竣工、L=31.2m)を拝んで帰宅。だいたい20 kmコース。

全体として単純梁で、床版は合成床版の圧縮部材。下側の鋼板は引張部材として機能。
歩道橋なのでねじりは合成床版で、橋軸直角方向の力は束部材のトラスで対応、と言った感じで無駄がない。張弦梁といえばそうなんだが、ケーブルでなく鋼板を利用しているので、張力の調整が難しく、そこをどうしたかってところが技術者の見せ所。多分RCを打つ(重さをかける)ことで所定の張力をかけたんだろうと想像するが、理屈と実際は結構差があるので、そこをどうしたんだろう?というところで、設計者に直接話を伺いたいとの思いが募る。
で、横河ブリッジの石井さんに尋ねたところ、尾下里治氏が設計の中心にいらっしゃったとのこと。架設工法はベント活用、束位置ごとに支保。両支点位置でジャッキアップして支保を外し、ジャッキダウンして定位置へ。死荷重合成。

2020 04.29

落合川いこいの広場 LinkIcon



長い連休が始まっています。外出自粛を基本としつつ、体が鈍らないよう、
自宅から5kmの落合川いこいの広場まで自転車散歩。

2020 04.27

プレ関東橋談義? LinkIcon

オンラインでプレ関東橋談義。
多分、後日には思い出に残る開催になると思うので、ここに記録しておきます。

2020 04.19

ん?これはコットン大橋(横浜)ではないか? LinkIcon

  



ん?これはコットン大橋(横浜)ではないか?日産エクストレイルのCMにチラッと登場です。(なんかすぐ見つけちゃうんですよね)前回は2017,トヨタVOXYでした。デザインしてたのは2004年頃で、16年経っても時々こうやって出会うことができるのは嬉しい限り。

2020 04.11

ステンレス鋼を使った橋梁のパンフレット LinkIcon



ISSF (Intenational Stainless Steel Forum )が出した、ステンレス鋼を使った橋梁のパンフレット。
水中梁にDuplexStainlessSteelを使った擬宝珠橋も登場です。
それはともかく、豊富な事例は橋梁技術者必見です! 私的には曲げとせん断を巧みに表現しているストックホルムのVasa Museum の歩道橋がお気に入りです。

2020 04.08

祖山橋_備忘メモ LinkIcon

 
祖山橋_備忘メモ
 
庄川@富山に祖山橋という美しい頬杖ラーメン橋がある。
 
当社の先輩が設計したことは判っているが、設計当時(1983年頃)の業務担当者に聞いても、その形状を主体的に考えた人の名前に到達しない。おひとり、業務担当者では無いが、部署にクリエイティブな方(故人)が在籍していて、その方ではないかという話まではたどり着いた。が、故人ゆえに確かめようが無い。....口伝えでも良いから、確かな記録を残すことがとても大事だと再認識するしか無かった、悔しい事例でもある。
....業務報告書にはこう書いてあった。
 
主桁は、構造的に有利なこと、また美観上できるだけスレンダーな形状をとる必要があることなどから、変断面部材とし、主桁下縁の曲線には、中央径間で単円(2次曲線)、側径間で3次曲線を用いることとした。 また、本橋の中央径間は66mであり、桁高は支間桁高比から支間中央及び主桁端部で1/44(1.5m)、中間支点部で1/16(4.1m)となるため、主桁には断面性能のすぐれた箱桁構造が適していると考えられる。今、桁端部におけるPC鋼線の定着本数は8本であり、2ウェブで十分定着可能であるため、単一箱桁構造とした。
....お話をしてみたかった。

2020 03.20

築地大橋のライトアップテスト LinkIcon

 

無断転載ごめんなさい。ここ数日、築地大橋のライトアップテストが行われているようで、ネットから気になる映像を並べてみました。

2020 03.20

鳥取城跡擬宝珠橋_ものづくり日本大賞優秀賞 LinkIcon

設計に関与した鳥取城跡擬宝珠橋の二相ステンレス製水中梁と木橋の製作チームが、
2020年1月ものづくり日本大賞優秀賞を受賞
 
ちなみに設計チームはかけはし賞を受賞

2020 03.20

ピアノがデザインした新しい橋 LinkIcon

ジェノバのモランディ橋、2018年8月14日の事故から1年半と少し。改めて、事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
レンゾ・ピアノがデザインした新しい橋の建設はここまで進んできたようです。
ピアノがデザインした橋といえば牛深ハイヤ大橋、シカゴ美術館のアプローチ橋が思い浮かびますが、どことなく似ていますね。

2020 03.01

日本のデザインアーカイブの実態調査 LinkIcon

素晴らしいWebSiteに出会ったので
備忘兼ねて記録まで。
 
柳宗理 川崎和雄 八木保 田中一光 ...作品や著作、エッセイなど
いつも気にしてきた方々のアーカイブ調査を通した 
デザインエッセンスの掘り起こしや
アーカイブする意義など文章で辿るデザイン
楽しく読めます。
 
デザインを知りたい、学びたい、楽しみたい人へ
日本のデザインアーカイブの実態調査

2020.02.22

2020/1/30、60になりました LinkIcon

2020/1/30、60になりました。お言葉をいただいた皆様ありがとうございました。
 
ここまで、まずまずの幸せでいられたことに感謝の気持ちが湧いてきています。
両親、家族、友人の皆様、そして社会に...
 
どうやって、周りの方々に還元できるのか考えるうちに、なぜか自由な気持ちになってきております。若い方の迷惑(老害)にならないようにとは思っていますが、やっぱり自分の持ち味は、(器は小さいですが)失敗を恐れず攻めること=仕掛けることかな? 
先日も書きましたが, Stay Foolish、Stay Hungry!
今まで以上に ワクワクドキドキに 向かって行こうと思っています。
 
引き続き、こんな私ですがよろしくお願いいたします。

2020.01.30

土木学会景観デザイン賞受賞式&プレゼン式 LinkIcon

  

今日1/25は、土木学会景観デザイン賞受賞式&プレゼン式に参加。後輩君の受賞を見届けて、知る人しか知らない暑い議論を楽しみ懇親会へ。
二次会は会社同僚と呑んで、三次会は偶然であった方々とまた暑い議論を重ねて、四次会は結局20年来の先輩と...幸せなことです。

2020.01.25

加藤幸枝さんの「色彩の手帳」出版御祝パーティー LinkIcon

 
二週間前の1/12、加藤幸枝さんの「色彩の手帳」出版御祝パーティーに参加してきました。改めておめでとうございます。おまけにジャンケン大会で日本で4冊しかないハードカバー本をゲット..ありがとうございました。
先日、池袋の書店で加藤さんの写真付きで販売されている現場を目撃したので増刷祈念に写真つけときます。続編も期待しています。
...余談ですが、二次会は橋談義の輪に加藤さんにも参加いただいたのでした 
遅くなりましたが、以上報告まで。

2020.01.25

東工大 空間デザイン演習講評会 LinkIcon

 昨日は東工大 空間デザイン演習講評会。
準備した模型と企画書を見せながら1人1分半のプレゼン。講師達から2分の講評。これを2回に分けて33人。そこから今年はオリジナリティを重視して6名を表彰。
毎回、同じ案は一つとして出てこない。似ている案はあるけど違う。設計とはそう言うものだと、毎回再確認。そして現実世界では、その場所に実現できる案は一つだけなので、選択と言う引き算の美学を鍛えられる。
発想する(右脳)段階も、取捨選択する(左脳)段階も苦しいけど楽しい。だから面白くて設計(デザイン)はやめられない。と学生達に伝えたいんだけど、どこまで伝わったかな?

2020.01.24

近藤 太智 写真展:フランス・イギリスの橋を旅する LinkIcon

  

先日、キャノンギャラリー銀座にて、
近藤 太智 写真展:フランス・イギリスの橋を旅する -HERITAGE Eiffel&Telford-
見てきました。
会場にいらした方がこれらの写真から連想される産業革命時代の話をしていて、そういったことに関心を持つ一般の方々もいらっしゃるのだなと心強い気持ちになってきました。何せ土木技術が爆発的に発展していった時代で、株式市場の誕生等経済にも大きな影響を与えたわけですから。
東京はもう終わってしまいましたが、2/13から大阪で始まるそうですので、よろしかったら。蛇足ながらギャラリーの方に許可をいただきましたので、会場の様子を少し紹介まで。
そのあと、GAギャラリーに移動して「設計のプロセス展」に。最終案にたどり着くまでの様々な模型が展示されていて、結局作れる案は一つだけで、プロセスそのものに含まれる引き算の美学を感じたり、気付きによる突然変異の過程を見たり、興味深い展示でした。土木でもこういった展示ができるようになると面白いのにな、とも思った次第。

2020.01.22

D2C(Direct to Consumer) LinkIcon

先日、タクラムの佐々木氏がD2C(Direct to Consumer)の話をすると言うので聞いてきた。色々気づきがあったので自分の理解をメモ。
(米国ではD2C企業の成功が様々な既存企業をディスラプトしているそうな。マットレス販売やメガネ小売の事例が代表例。)(日本でもニトリがそれっぽいし、外食のスカイラークがそれを目指すとかの動きも興味深い。考えてみるとユニクロも巨大なD2Cを目指していると理解すると、なんかわかりやすい。)
▼そもそもの起業の動機(経営理念)に魅力があるか?嘘がないか?がまず大事。一種の社会課題解決になっているかどうかもポイント。
▼Cのフィードバックの取り込みが企業をスケールさせる味噌。=Cの多様な願いを叶える企業がスケールしていく。(品数を増やすわけではない)
▼フィードバックをデータとしてプロダクトを細かく適宜改善。=データドリブン企業であり、IT 企業のような文化で会社運営。
▼スターデザイナーは不要。チームでプロダクトを良くしていく文化。
▼よってチームを運営するPM能力は重要。
▼加えて、様々なフィードバックを整理編集して各チームの課題を設定する役割も要。
▼ここまで理解すると、これは公共デザインのポイントと似ていると気付く。
▼違うのは、Cのフィードバックの取り込み方。ここにもっとIOTのパワーを注入せねば!
▼となると、公共デザイン=税金で行う事業であるので、一種の民主主義システムの変革が避けて通れない? 一方、民主主義に過度なスピード感は危険であることも事実。
▼今よりもスピード感は必要と考えるが、適度なスピード感は、誰がどう設計する?
▼社会システムにおけるPMの役割は誰がどのように担う? 過去では行政の役割りだったが...
▼現実に起きている色々な変化もD2C 的な方向に向かっている気もするが、そう言う理解の仕方や説明はあまり聞いたことがない。
▼いや、わかってないのは私だけ?
...などと考える今日この頃。

2020.01.22

Stay hungry, Stay foolish. LinkIcon

Stay hungry, Stay foolish.
元は1960年代のアメリカの雑誌「Whole Earth Catalog」の最終号に載ったメッセージで、SteveJobs自身が影響を受けた言葉としても広く知られています。私自身、直ぐに満足しわかった気になりがちな自分を戒める言葉として、ここ二十数年、目の前のパソコン画面に貼っていました。が、最近、画面交換した際に、もういいかと思って引継がずにいました。
で、この正月休みに、朝永博士の多様な講演録や雑誌投稿等を集めた一種のエッセイ集「科学者の自由な楽園/朝永振一郎」をぱらぱらとめくっていると、「学ぶ」というくくりの一番最初に「好奇心について」という1972年の講演録があり、その中に「知的な飢えを与えるために」という節を見つけて、Stay hungry,...と同じ匂いを感知して刺激を受けた次第。
今月60歳になるのだけど、今一度、朝永博士の思索も含ませて Stay hungry, Stay foolish. を座右において60代をenjoyしようかと思ったりしている年の初めです。
PS ちなみに、この本の「ゾイデル海の水防とローレンツ/1960年」は、土木関係者必読の面白さです。1918年から26年にかけて実施された検討委員会の様子を紹介したものですが、下記に引用が載っていますので、興味のある方は是非。

2020.01.03

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