安寧の都市ユニット開設記念シンポジウム

京都大学にて、「安寧の都市ユニット開設記念シンポジウム」を聴講してきた。安寧の都市ユニットとは、健康医学と都市系工学を融合した学問領域「健康人間都市科学(仮)」の創生を目指すものだそうで、開設記念講演内容は下記の通り。

講演1:「安寧の都市」論の構築に向けて
           〜身体と場所の風景論から〜 
    (中村良夫 東京工業大学名誉教授・前 京都大学教授)
講演2:「安寧の都市」づくりに向けて〜地域医療はどうなるか〜
    (小川道雄 市立貝塚病院総長・元 熊本大学副学長)

講演1は中村先生の「風景講義」。風景を把握する上での身体性、心の動きなどに着目した、風景のとらえ方を熱く語られた、すばらしい講演であった。そろそろ、心からみた風景論を研究しても良いのではとの示唆を与えていた。

講演2は現在瀕死の状態にある医療現場の実態(医師の過重労働)が解説されたあと、立て直すには医療施設の集約しかないという結論(先生の持論)が述べられた。まさに本ユニットに向けた問題提起がなされた講演であった。そして、今現在、土木と健康医学の間には何も接点がないが、このユニットがその接点を見つけ出し、融合していくことが望ましいとの感想が述べられていた。

医療の面から都市を考えるという、誠に現代的なテーマを正面から扱う気概にまず拍手を送りたい。(偉そうですみません)5年の時限付きユニットのようだが、5年後にどのような発信がなされるのか、非常に楽しみである。

この課題、私にとっては「散歩」がキーワードだ。散歩が楽しい街づくり、これが土木から提案できる一番身近な部分と思う。講演2でも大人が今よりも3000歩多く歩くと、医療費は3000億近く縮減できると紹介されていた。(今現在は平均男7千歩/女4千歩ほど歩いているそうだ)

次には、電気自動車を前提とした街づくりではないか? 排気ガスが出ないのだから、救急車や介護車は家のリビングに直につけられるようする、病院側の玄関のあり方も変える、など種々のデザイン展開も考えられる。風景が心を癒すメカニズムや哲学も研究して欲しいテーマだ。

また、医師の労働条件を整備するにあたっては、制度論、政策論の議論が欠かせない。所轄官庁が国土交通省と厚生労働省という、巨大利権官庁の組み合わせである点も留意せねばならないことであろう。

鍵は「言語と通貨」by 松岡正剛


奈良新公会堂にて、平城遷都1300年記念経済フォーラム「東の国の経済と文化 日本と東アジアの未来を考える」講演会を聞いてきた。

2002年から事業仕分けを自治体に展開してきた構想日本の加藤氏、慶応大学漢方医学センター長の渡辺氏、グーグル日本の名誉会長村上氏とおもしろそうな講演者に加え、松岡正剛氏が企画しているので楽しみにしていたが、議論の中身は新鮮みに欠けていて残念。テーマがおおざっぱすぎたせいかもしれない。

ただ、松岡氏が最後にまとめた言葉は印象に残った。アメリカ発の民間会社がソフトインフラを整備したインターネットが現代社会に根を下ろしたが、英語とドルだけの世界は勘弁願いたい。これまでもそうであったように文化は「言語と通貨」に規定されるわけだが、ネットの世界を一つの言語で覆うのはご免被りたい。日本にも世界に冠たる種々のモノが眠っており、これらを世界に発信していかねばならない。アメリカ文明に押されっぱなしの今の状況を変えていきたいものだ。

断片的には面白い話しもあった。預金を(民間会社)に預けることとデータを(google)に預ける、これのアナロジー。そのネットに電子マネー(クレジット)という無形物が入って国境を簡単に越えるという連鎖。戦争が絶えない一方、信用をベースにコミュニケーションを増殖させる現代社会。言語と通貨は文化と文明の交換メディアとして、これからも社会制度のキーファクターであるとの示唆は深く印象に残った。

壇上でも議論されていたが、一体いつの時点で日本はアメリカ文明にこうも影響(蹂躙)される立場になってしまったのだろうか?そしてその一方、漫画やウォシュレットに代表される生活文化においては、オリジナリティー満載で世界に発信出来ているのにね。

Henry Moore 展 / ブリジストン美術館


ブリジストン美術館で、ヘンリームーア展(生命のかたち)を見てきた。なんか惹かれるんですよね。抽象なんだけど、ほのぼのとした暖かみと理知的な雰囲気が...
哲学する気分を文字でなく形で表現したようなイメージを、勝手に受け取っています。

浜野安宏氏の講演会 「生活地へ -幸せのまちづくり-」

飯田橋で標記の講演会を聞いてきた。浜野氏は1941年京都生まれで現在68歳。だいぶお年を取られたようだが、若い頃すなわち1960年代から、我々のライフスタイルに大きな影響を与え続けてきた、遊びと仕事の達人である。

例えば、東急ハンズという業態をゼロから誕生させたり、バリ島において「BALI must not become another HAWAII」とのコンセプトで世銀のプロポに勝ち残り、ヤシの木より高い建築を作らせない法律をつくり、独自の文化を維持しながらも繁栄を続ける(すなわちサスティナブルな)リゾート開発の礎を築くような仕事を積み重ねている。(ここここを見てみてください)

すっかり定着した「生活者」という言葉も最初は彼の造語であった。そして、その言葉の定着とともに、「生活を楽しむ人々」がそこかしこに生まれてきた。
今回の講演のテーマでもある、住宅地でも商業地でもない、遊びや仕事、歴史や文化、環境、いろいろなものが混ざり合った場所を指す「生活地」という言葉も浜野氏の造語で、そのような場所を創造していくという仕事に、ここ20年ぐらいは注力しているそうだ。

「生活地」とは、生活を楽しむ人々が、場所の持つ魅力でもって持続的に再生産される場所をイメージしていると、私は理解している。いろいろなものが街に開いているような場所であり、その装置としてのストリートや界隈のあり方が重要なポイント。そこに、私は土木と建築の本当の共同の「土俵」があると理解している。

「共育」という言葉も印象に残った。教育ではなく共育という視点はすんなり心にしみ込んできた。大人になればなるほど、それは実感ができるのではないだろうか?限界集落というものがあるように限界都市というものもあるとの指摘は刺激的だった。

これからの地方まちづくりの手法として、工場を誘致するのでなく、影響力のある人間を誘致する視点を持てというエールも興味深かった。その人間には、チームやら企業が引っ付いてくるので、経済効果を期待する点では同じことなのだろうと思うが、深みが違う。工場にはお金しかついてこないが、人には文化がついてくるからだ。一方、誘致する側にも覚悟が必要である。そこに住みたいという魅力が土地になければこの話は進まないからだ。お金勘定で事を進めるのでなく、ハートが大事ということであり、時間もかけろということだろう。

世界規模の投資ファンドへの怒り、得意でないところまでやってしまって失敗する建築家への警鐘、などの話も盛りだくさんで、私にとって知的興奮に満ちた2時間であった。

「エコロジカル・エイジに向けた技術者の役割」 ブルネル国際講演会

四ツ谷・土木学会にて、標記の講演会を聞いてきた。講師は英国土木学会フェローのPeter Head氏。ブルネル国際講演会は、19世紀に活躍した英国を代表する技術者イザムバード・キングダム・ブルネルに因んで、世界の主要都市を巡って開催しているもので、今回は東京での開催とのこと。
講演者のコメントとして「ブルネルのイノベーターとしての勇気を尊敬している」が特に印象に残った。また、環境に配慮した生活様式、すなわち文明社会の構築に土木技術者として為すべきことを真剣に考えている姿勢には学ぶべきものが多いと感じた。講演内容には正直あまり感動しなかったが、歴代の日本の土木学会長の少し格調にかける発言を伺うにつけ、行動することが社会を変革して行くというメッセージは逆に強烈に印象に残った。後援会後の質疑応答では、エコロジカルエイジのための環境制御技術を活かすためには多面的に都市を計画する学問の再構築が不可欠との結論となったが、それ以上に、環境問題に対して、発言し行動して行くことの尊さを認識させていただいた講演会となった。
2009.06.15

興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」


上野の東京国立博物館 平成館で阿修羅展を観てきた。ガラスケース無し(露出展示)で直接見られる、国宝:八部衆像8躯、重文:薬王・薬上菩薩2躯、そして重文:四天王像4躯が、特に圧巻だった。阿修羅像の周りは身動きが取れないほどの混み具合ながらも、360°何処から観ても表情が刻一刻変化し、立体構成にスキがない造形力にも恐れ入った。だからこそ、心が動かされるのだろう。1年前の薬師寺展の月光および日光菩薩像の360°展示も良かったが、今回もとても良かった。...これら薬師寺や興福寺の仏像をみると、我々の遠い祖先はインドから東南アジアを経てきたのだなという、エキゾチックな雰囲気を感じることが出来る。平成27年(2015)の興福寺中金堂の復興のおりには是非また訪れてみたい。 2009.05.10

多自然川づくりワークショップ


名古屋都市センター(金山)にて、多自然川づくりワークショップを聴講してきた。事業者、施工者、設計者(コンサルタント)のそれぞれの立場からの4つの事例紹介を題材に、島谷幸宏・九大教授のほか、NPO代表の方や市民の方々など、7名程のコメンテーターが意見交換するという形で会は進められた。多自然は不自然といった素直な感想・意見から、はじめから良いものは出来るはずもなく、技術的な試行錯誤(チャレンジ)をまずは認めるところから始めようという技術論の立場からの発言まで、様々な感性がぶつかり合う面白い議論が展開された。デザインをする側にいる私の感想は、「目一杯作為的に考えを巡らし、試行錯誤の結果として、不作為にみえる創造を求められる」多自然川づくりは、これぞ土木デザインの神髄との感想を再確認した。 2009.4.25

高橋節郎展


豊田市美術館に常設されている高橋節郎館を観てきた。漆の黒と金箔、それに少々の色使いや造形のバランスの良さ、作業の美しさ、そしてシャガールを連想させるような画面全体に漂う遊び心。ここを訪れるまで知りませんでしたが、すぐに好きになりました。 2009.4.24

展覧会建築基準法改正後の構造設計者の仕事」

銀座INAX7階にて、建築家フォーラム第79回・展覧会「建築基準法改正後の構造設計者の仕事~こうすれば不可能が可能な建築に!!」を観てきた。17日の講演会(金箱温春氏+ 今川憲英氏)を聞きたかったのだが、都合が合わないので、せめて展覧会だけでも、というのが理由。パネルを観て、読んで「プロの構造家として、現場の状況、数値シミュレーション、構造ディテール、部材製作現場、事後のフォロー、等の技術を磨いて誇りを持って仕事に取り組め」と思われる意図はよく理解できたつもり。講演会に行けないのが残念だな、と思いつつ会場を後にした。
PS:INAXギャラリー「チェコのキュビズム建築とデザイン 1911-1925」を上記のついでに覗いたのだが、いや、実に見ごたえがあり、面白かった。 2009.3.14

加山又造展

六本木の国立新美術館で加山又造展を観てきた。ただただ圧倒された。多分人とは違った見方だと思うが、1957年前後に作風が確立したことが絵を通して実感された。勝手な解釈だろうが、偉大なる画家の変遷を勝手に解釈するのも展覧会の楽しみの一つである。また、観ながら脳のどこかが刺激されて抱えている案件に新しいアイデアがひらめいた。(目の前の絵にインスピレーションをいただいたのではなく、明らかに脳が活性化して、違う引き出しを引いた様な感覚だ)こんなことも展覧会に足を運ぶ理由である。ほんと、リフレッシュした。 2009.2.27

橋爪 大三郎氏の講演会「炭素会計が地球を救う」

飯田橋で標記の講演会を聞いてきた。橋爪先生は環境が専門ではなく、社会学の立場から炭素会計を論じている。その点が新鮮で、論点も整理されており理解しやすかった。そして、日本人として世界に何が出来るかを考えろと訴えていた。坂村先生も同じだったが、結局何かを為す人の講演の結論はこのあたりに落ち着くようだ。それはさておき、この講演で理解した炭素会計のミソは下記のようなものだ。
これは公害問題のように科学法則を当てはめ、エネルギーを投入して、力技で解決出来るような単純な科学の問題ではない。だからこそ、現象を数字で置き換えることが出来るものだけ(すなわち炭素の排出量)で、公平に扱う必要がある。公平とは地域的にも、世代間の得失も含めてのことである。だからこそ、地球上の全ての国の参加が必要で、政治的選択に対して論理構成が成立している点が不可欠。
ここが、20世紀のイデオロギーの対立を軸としてきた(二者択一のパワーゲーム的な)課題解決方法とは違うところ。解決を間違えると、そのしっぺ返しは全地球人が受ける。その前提で、リーダーは何をすべきか考え実行していくことが求められているのが「温暖化=炭素会計」の問題である。
炭素の排出抑制を実行する地球システムが構築出来るようになれば、それは温暖化の解決にならずとも、地球の未来を明るくする方法を人類に授けるだろうというのが、多分、先生が最後に言いたかったメッセージと受け取った。
  2008.12.18

HANDS 土木エンジニアドローイング展

四谷・土木学会で増田淳をはじめとする昭和初期の頃の図面を披露する標記の展覧会を観てきた。
美しくディスプレーされており、土木の新しい風が感じられ、広く一般の市民の方々にこそ見ていただきたいと思った。出来得るならば恒久展示にしていただき、もっと市民が気軽に立ち寄れる様にしたら面白いと思った。加えて、代表的な図面だけでなく、図面の束をめくってみられるように、すなわち、多くの図面によって、事業が成り立っていることも合わせて理解いただけるような構成にするともっと良いだろう。とかいろいろ考えながら、帰途についた。  2008.11.17

Laurent Ney 講演会「Freedom of form finding」

本郷・東京大学工学部1号館15号講義室でローラン・ネイ氏の講演会を聞いてきた。intuitionを大事にして、そこで得られたイメージをengineeringを駆使して形にするのが、彼のやり方と受け取った。冒頭ではフォース鉄道橋(1889)ケベック橋(1919)を比較して、同じ構造系だが、彼はフォースの形に惹かれる、と言っていた。全く同感で私もこの比較はよく判る。形が生まれる際の背景の違い(産業構造、設計条件など)が形に出ていると思う。マイクシュライヒ氏も言っている、形に文化が宿るということは、設計者のintuitionの質に因るのだということを強く再確認した、刺激的な講演会であった。intuitionは個人の教養レベルに左右されるので、日々これ研鑽あるのみですね。  2008.11.12

安藤忠雄 建築展「挑戦-原点から-」

乃木坂の「ギャラリー間」で標記の展覧会を見てきた。
安藤忠雄展は最近の21/21DesignSightでの展覧会も含めて、これまでに何回も見ているので、目新しさはなかったが、住吉の長屋の原寸模型はよかった。型枠のベニヤもよかったが、ギャラリースペースのガラス壁を外して、屋内から屋外へ伸びる展示方法が建築的にも面白く非常に良かった。さすが、ギャラ間です。
ピノーの美術館プロジェクトが中止になっていたのは知らなかったが、それに変わるベネチアのプロジェクトが紹介されていた。初期の頃の浜野氏、コシノ氏からサントリーの佐治氏、ベネッセの福武氏、ベネトン氏、ピノー氏、と安藤氏は本当に「高等な」友人(パトロン)に好かれる建築家である。強く印象に残った。コンペとパトロン、建築を成長させる2大要素について、これからも考えていきたい。
1984年頃、講演会で関西のスター建築家として紹介されていた安藤氏は、今や世界のスター建築家にまで上り詰めた。住吉の長屋の模型と、ベネチアやメキシコ、アブダビでのプロジェクト紹介が同居する空間で、20数年前の講演会で神戸北野のリンズギャラリーを題材に「レンガの目地の奥行きにこだわり、そこに溜まる埃の重要性を説いていた」安藤氏を思い出していた。  2008.11.08

ARCHI-NEERING DESIGN 2008 展覧会
+ Mike Schlaich 講演会

田町の建築会館で開催されている標記の展覧会へ行ってきた。まずは展示模型の多さに、そして、選ばれている建築物(橋も含む)のセンスに感激した。
...いや、それは言い方がまずい。後にカタログ(何と500円!)を見て知ったのだが、関係者のそうそうたること。
...良くて当たり前だった。だいたい、私はその方々の書籍を見て、勉強してきたのだから。
模型の大半は学生達が作成したそうだ。苦労したと思うが、なんと素晴らしい教育だろう。私は土木出身だが、建築関係者のこうゆう機会創出のエネルギーは見習いたい。
18:00から、中庭(膜屋根の下の半屋外空間)でマイク・シュライヒ氏の講演を聞いた。もっと軽く流すのかと思っていたら、そうではなく中身の濃さに驚いた。ベルリン工科大学でのカーボンを利用した構造実験の話が一番印象に残った。講演後、少しお話をさせていただき、会場を後にした。  2008.10.23

坂村 健氏の講演会「持続可能都市のためのユビキタス」

飯田橋で標記の講演会を聞いてきた。有名人なので本は読んだことがあるが、講演を聞くのは初めてだった。結果は、やはり、何かを為す人はエネルギッシュであることを再確認した。話の内容は、色々なところで読んだり聞いている話が多く、前頭葉が刺激されることは少なかったが、並外れたエネルギーはしっかり受け取らせていただいた。
話の骨子は3つあったが、印象に残ったのは、技術だけで革新を起こすことは難しい、ということだ。生意気にも全く同感させていただく。
面白かったのは、パリのVeribをべた褒めだったこと。ちゃんとJCDecauxの話をされたこと。頭脳や行動力は並外れた方だが、社会動向を感じ取る感覚は我々と同じようだと感じました。
先生が企画・開発・実現したucode技術が世界標準になったのだけれど、それで、色々な方々が向こう側から近づいて来て、自分の世界も変わってきたという話は良かった。グローバルに生きるという意味の一端が感じられた夕暮れであった。ある意味、水面下でうごめいていた日本発の技術が世界に羽ばたく可能性を感じた。  2008.10.23

 

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